皇族の葬儀を規定する法律は存在しない
一般の国民の間では、このところ葬儀の簡略化が進んでいる。身内だけで済ませる家族葬が広がり、火葬場に直行する「直葬」も珍しくなくなった。
百合子妃の場合、101歳での薨去であり、長寿を十分にまっとうしての大往生である。果たして巨費を費やし、天皇や皇族に大きな負担をかけてまで、これだけのことをしなければならないのか。世の中の流れからすれば、どうしてもそこに疑問を感じてしまう。
逆に、なぜ天皇皇后は百合子妃の葬儀に参列しないのか。この点も、そこに合理性があるのかどうかが問題になる。先代の天皇の葬儀として営まれる「大喪の礼」で喪主は天皇である。天皇が葬儀にかかわらないという伝統があるわけでもない。
天皇や皇族の葬儀について、そのあり方を規定した法律は、現在存在しない。大正15(1926)年に、それにあたる「皇室喪儀令」が公布されているが、それは戦後の昭和22(1947)年に廃止された。
しかし、百合子妃の葬儀もそうだが、実際のやり方は、廃止されたはずの皇室喪儀令に従って行われている。皇室喪儀令を見てみるならば、そこに附式としてあげられた一連の儀式がそのまま行われていることがわかる。
「神仏分離」で一掃された皇室の仏教信仰
天皇や皇族の場合、明治に時代がかわるまで、葬儀は仏教式で営まれていた。江戸時代には、皇室の菩提寺である京都の泉涌寺で葬儀が営まれ、遺体は境内にある月輪陵に土葬された。
ところが、明治政府は、王政復古ということで、それまでの体制を改め、神道と仏教を分ける「神仏分離」を行った。それに伴って皇室からも仏教の信仰は一掃されることとなったのである。
明治天皇の父親である孝明天皇については、泉涌寺で仏教式で葬儀が営まれたものの、山階宮晃親王が明治31(1898)年に83歳で亡くなった際、「かねて帰依の仏式にて葬儀を営みくれよ」と遺言していたにもかかわらず、当時の宮内省はそれを認めなかった。
晃親王は、江戸時代に門跡寺院である京都山科の勧修寺を継ぐため一旦は出家した。幕末に還俗しているが、明治になっても仏教信仰を持ち続けていた。ただ、宮内省は認めなかったものの、古式に則って葬儀が行われた後、密かに仏教式の葬儀も営まれている。遺言はかなえられたのである。