千尋さんは1989年に「だるまのふるさと大門屋」の三女として生まれた。学校が終わると家には戻らず、同じ敷地内にある店で遊んでいた。
末っ子として家族や社員に可愛がられ、天真爛漫に育った千尋さんは小学校3年生の時に「これだ!」と思うものに出会う。
「遊園地でくじに当たったんですよ。当選者って名前を呼ばれて、前に出るじゃないですか。みんな祝ってくれるんですよね。拍手しながら「すごい、すごい」と。めちゃくちゃ気持ちよかったです。『もっとこういう経験をしたい!』と思いましたね」
まるで自分が主役になったような気持ちになった。この経験は千尋さんの心に深く刻み込まれた。
大学に通いながら続けたモデルの仕事
高校を卒業した後は、共立女子大学の国際学部へ入学。大学には海外が好きな人やモデルやキャビンアテンダントを目指す人たちが多かったため、性格の明るい千尋さんは水を得た魚のようにいきいきとした大学生活を送り始める。
表参道から原宿を歩いていた時に声をかけられたことがきっかけで、女性ファッション誌でモデルとしてデビュー。仕事関係の友人も増え、パリピ街道を走り出した。
日中は大学に通いながらモデルの仕事をこなす。夜は銀座や六本木のクラブに通った。一晩中お酒を飲み歩き、始発電車で帰宅する生活を送っていた。自宅と逆方向の電車に乗り、気づいたら千葉の山奥にいたこともあった。
ふと立ち止まったのは大学3年生の時だった。
「モデルでは1番になれないとわかりました。ファッションのコーディネートはもちろんメイクの仕方、利き顔、撮られ方、ダイエット、自分を売るためのルートなどを考えて活動をしていたのですが……。いくら努力しても最強の美人には叶わない。無理だなと思いました」
モデルでは一番になれない
自分らしさを発揮して、小学生の時に感じた主役になるにはどうしたらいいのか。千尋さんは考えを巡らせる。
キャビンアテンダントは? 熾烈な競争を勝ち抜かないといけない上に容姿や才能も必要だ。トップ層に食い込むのは難しそう。証券や金融の営業は? 成績で1位を取ったとしても継続できるかわからない。運の要素もある。結果を出し続けるのは厳しそう。
ひとりで壁打ちを続けた結果、思いついた。
「そうだ、だるまがある……」
だるま業界には若い職人も、女性も少ない。それに実家がだるま店だから技術も学びやすいはずだ。女性である自分が技術を身につければ目立つ。トップに立てるかもしれない――。新たな目標を見つけた千尋さんは、スパッと夜遊びをやめた。