素の自分を見てもらえなかった

成績や試合の結果について親が子どもをほめるとき、成果に注目してほめる場合とがんばりに注目してほめる場合とでは、子どもに与える影響は異なります。成果ばかりに注目してほめると、本人は「素の自分」ではなく「出した結果」だけがほめられたように感じてしまいます。

本人にとって、成果はあくまで自分の外側。成果が出たことだけをほめられると、まるで「きれいなコスメだね」と言われているように感じ、素の自分がほめられているとは感じられません。

親の側は一生懸命愛情を注いだつもりでも、子の側は「愛情をかけてもらってはいたが、親が求める条件を満たさなくなったら、愛してもらえなくなると感じていた」「素の自分を愛してはもらえなかった」という思いを抱き続けることになるのです。

成績がよくてもわるくても、試合で勝っても負けても、親がつねに「がんばったね」とプロセスを見てくれていたら、無条件の愛情を感じられ、素のままの自分に生きる価値があると思えたのかもしれません。

「がんばらなくてもほめてあげてください」と伝えたら「がんばらなくてもほめるんですか」と聞き返したお母さんがいました。人にはがんばれないときもあります。そんなときは「生きているだけでじゅうぶん」と、ほめてあげてください。がんばれないときも「それでいいのよ」とハグすることで、子どもは親との絆を深めて安心できるのです。

親が忙しそう、しんどそう……

子どものほうから愛着形成のサイクルを止めてしまう場合があります。親が忙しかったり大変そうだったりすると、子どもがそれを察して、自分から愛情要求を止めてしまうのです。

こうした傾向は、生まれつきの性質も関係します。幼くても周囲の状況や他人の表情を敏感に感じとれる子や、その場の状況に対して、適切なふるまいができる子がいます。親が忙しそう、つらそうだとわかると、自分の要求を控え、親が望むように行動してしまいます。

子どもをかまえないほど忙しい親と、このタイプの子のくみ合わせになると、愛着形成は双方からストップしてしまいます。親からすると、子どもが早熟で自立したように見えるため、「もうあなたは大丈夫ね」と安心して子どもから離れてしまいます。

手がかからないしっかりした子ども時代を過ごしたように見えますが、本当はもっと甘えたかったという思いを抱えている人が多いのです。