※本稿は、QuizKnock『QuizKnock 学びのルーツ』(新潮社)の一部を再編集したものです。
幼いころから親による「学び」への方向付けがあった
僕の実家は、とくにエリートというわけじゃないんです。お金持ちでもないし、父親こそ一応、早稲田大学を出てはいますけれど、卒業までだいぶかかったらしいですから(笑)、勉強とか学問に対してすごく熱心ということはない。家に漫画とか映画とか音楽とか、「文化資本」があった、みたいなこともないんです。ピアノは後から買ったけど弾けるのは自分だけだし。
ただ、その反動かもしれないですが、両親にはカジュアルな向学心みたいなものはありました。すごく難しい本を読んだりはしないけれど、TVで見るのはバラエティ番組よりも教養番組とか大河ドラマが多かったり。
NHK大河ドラマの『利家とまつ』を親と一緒に見た記憶がありますけれど、子どもが自分から見る番組じゃないですよね。そういう意味では、親による「学び」への方向付けはありましたね。
「勉強を教える」ではない教育
小学1年生のときには、家にあった織田信長の歴史漫画を読んだことをよく覚えています。実は僕が歴史に興味を持ったきっかけがその歴史漫画なんですが、それもブックオフで100円で売られていたものを、親が買って家に置いておいたんですよ。
このときに、家に置いてあるのが不良もののバトル漫画だったら、少なくともこの時点での僕は歴史に興味を持ちませんでしたよね。友情とか人付き合いとか、もっと大切なものを学んでいた可能性はありますけど。
結局こういうことの積み重ねはあって、学びに向かいやすい環境や雰囲気が用意されてたんですよね。
それが僕の、無意識のものも含めた考え方の癖や方向性、つまり「マインドセット」を形作ってきた気がします。特段勉強を教えるとかそういうことではなくても、それが自分が受けてきた教育だったように思いますね。