小学校時代は一人の時間が長かった

とはいえどちらかというと、学校とか家の外の環境が自分に与えた影響が大きかったように思います。最寄りの小学校が県下一のマンモス校だったので、親が無理して私立に入れてくれたんです。片道1時間、電車通学でした。

当時はスマホもない、ケータイも性能はしょぼくて色々な情報を手に入れることは難しいということで、本を読むしかやることがない。でも、歩いている時間は本も読めません。なんなら家に帰ってきたって、地元の友達は学校が違うから一人で遊ぶしかない。親も働いてるからいなかったりする。兄弟もいない。

つまり、「一人の時間」が圧倒的に長かったんですよね。その間は考え事をするか、一人で遊ぶしかない。それが大きな意味を持ったと、今になって思います。

子どもが複数人集まると、何かを共同でやるわけです。木に登る、穴を掘る、鬼から逃げる。共通の課題を見つけ、それを解決する方向に動くわけですね。スポーツとかゲームもそうですけど。そしてそこには、言い出しっぺがいる。

でも僕は一人でしたから、遊びの課題が外から与えられないんですよ。「○○しようぜ!」と言ってくる友達がいませんから。だから、僕は自分で自分に課題を与えるしかなかったんですね。

少年
写真=iStock.com/arekmalang
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一人ならではの「課題」を設定した

そこで僕は、勝手に一人で課題を設定して、それをクリアするということを繰り返していました。課題といっても、「講談社火の鳥伝記文庫を読破する」とか「好きな漫画の1話ごとのレビューを書く」とか、勝手気ままなテーマ設定でしたけどね。

それに、別に優等生だったわけじゃないので、「親の目を盗んでカードゲームを買う」とか「こっそりランドセルにゲーム機を入れて家を出て、通学中に遊ぶ」といった課題もたくさんありました(笑)。でも課題は課題ですよね。

自分で課題探しをして、それを解決しようとする癖付けができたので、自分への自信とか、自主性みたいなものは育ちましたよね、経路の良し悪しはともかく。外からテーマが与えられないわけですから、自分で探すしかない。だから僕は自発的に、課題を探してそれをクリアするということを繰り返していたんです。それも今の僕への伏線ですね。