「父子家庭の父親」や「道を歩いていた人」にも招集令状が届いた

しかし、こうした発言が噓っぱちであることがすぐに明らかになった。

その日を境に起きたことは、無差別な招集だった。高齢者、軍務経験のないもの、持病持ち、父子家庭の父親といった、本来招集から除外されるはずの男たちにも令状が届いた。果ては道を歩いていただけで招集令状を手渡されたといった混乱がロシア各地に広がった。

大統領や国防相は嘘をつくつもりではなかったのかもしれない。適格性を欠く者をいくらかき集めたところで、戦力にはならないのだから。なぜ、こうした混乱が起きたのか。それは、今のロシアの行政組織には、条件に合致する人材を集めるという基本的作業を行う能力が欠如しているからだ。

招集の人数や対象者の条件を決めるのは国防省だが、人を集める実務を担うのは日本の都道府県に相当する連邦構成主体の首長たちだ。だが、彼らの手元には、大統領がいう「特別な技能や経験がある者」のリストなど存在しない。モスクワからは連邦構成主体ごとに招集人数と期限だけが示されたようだ。

首長たちにとって、モスクワからの指示は絶対だ。彼らは形の上では住民(一部は議会)の選挙で選ばれるが、誰を与党の候補者にするかは、大統領府が決める。プーチン氏のめがねにかなわなければ、任期途中でも容赦なく交代させられる。逆に、高い評価を受ければ、中央での昇進の可能性も開ける。

ロシア国旗の胸パッチ
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“社会の雰囲気”が一変し、支持率が下落に転じた

平時の首長たちが気にしているのは、選挙の成績だ。特に、大統領選での投票率とプーチン氏の得票率を上げることに躍起になっている。有権者よりもモスクワの顔色をうかがうことが習い性となっている首長たちが動員の割り当てを受けたのだから、頭の中は人数を揃えることで一杯になったのだろう。

早期にノルマを実現する現実的な手法は、割り当てよりもずっと多い招集令状をばらまくしかない。これが大混乱の原因となった。

社会の雰囲気は一変した。それは、プーチン大統領が気にかける支持率にも表れている。レバダセンターが動員決定直後に行った世論調査では、プーチン氏の支持率は77%。ウクライナ侵攻開始後一貫して8割を超えていた支持率が、はじめて下落に転じた。

一見、77%は非常に高い数字に映る。しかし、ロシアのような強権的な国家、しかも戦時という社会の緊張が高まっているときに、「大統領を支持する」という模範解答を拒む人たちが増えたという事実は、重い意味を持つ。

さらに、「模範解答」が存在しない質問は、社会の雰囲気の変化をよりくっきりと浮き彫りにした。「いずれ総動員が発令されると思うか」という問いに「必ずそうなる」「おそらくそうなる」と答えた人は、66%にのぼった。これは、侵攻開始直後の2月の調査の28%の倍以上の数字だ。

部分動員令発令後、多くの男性がロシア国外に逃れようと、空港や国境に殺到した。でたらめな動員でいつ自分が招集されるか分からないという恐怖ももちろんある。だが、近い将来総動員が導入されれば国境が事実上閉鎖され、国外に出られなくなるという危機感も大きかっただろう。

迷彩の軍隊の兵士の足
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