もともとは稼ぎ頭だったが、エネルギー革命が起きて斜陽に

鉱山・炭坑部門は稼ぎ頭で、1894~1908年の三菱の収益の68.5%を両部門で担っていた(ちなみに鉱山の方が炭坑より稼ぎが上)。そもそも三菱商事の源流となった三菱合資営業部は、元は売炭部といって、炭坑部門で掘った石炭を販売する部門だったのだから、その貢献度がわかるというものだ。ただし、1910年代後半には三菱造船が莫大な利益を上げるようになり、三菱の製造部門は鉱業から造船へシフトしていく。

1945年に日本が敗戦を迎え、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によって日本が占領されると財閥が解体され、過度経済力集中排除法により三大財閥の鉱業会社は炭坑部門とそれ以外が1950年に二分割された。三菱鉱業は鉱山部門を三菱金属鉱業として分離した。