子どもが文章を書く力をつけるためには何をすればいいのか。学習塾・寺子屋ネット福岡を運営する鳥羽和久さんは「子どもたちは学校でやたらと感想文を書かされる。『苦しかった』『でも学びがあった』のような文章を無理やり絞り出させられている」と指摘する。エッセイストの古賀及子さんとの対談をお届けしよう――。

※本稿は、鳥羽和久『「学び」がわからなくなったときに読む本』(あさま社)の一部を再編集したものです。

原稿用紙と鉛筆
写真=iStock.com/years
※写真はイメージです

「感想禁止」で日記を書く

【鳥羽】古賀さんの文章における最大の特徴は、その徹底されたメタ視点です。自分に起こった出来事なんだけど、それを俯瞰で観察して書いている。

古賀さんは日記の書き方について、「感想禁止」とおっしゃいますね。古賀さんは「楽しかった」「美味しかった」といった感想をあえて書かずに、自分が見たり聞いたりした出来事をそのまま書くということを徹底している。そうやって出来事を淡々と描写していくなかで、自分にありあわせの感想を求めてしまう思考から脱却して、自分の知りえないところにすでに浮かんでいる思いをメタに観察できるようになる、と。これは、日記に限らず文章の書き方の肝に触れていると感じるし、観察というのは戦略的にそれほどの効果があるのかと驚かされました。

【古賀】私としては戦略的に観察しているというよりは、「感想を持つこと」を避けた結果、この書き方になった感じなんです。

【鳥羽】どういうことですか。

【古賀】何かを「思う」ことに、あんまり興味がないんです。自分の内側から湧き起こる感想に興奮しないんですよね。私が思うとか、思わない、にかかわらず、目の前にすでに何かがあること自体に興奮を覚えると言いますか。

学校ではやたらと感想文を書かされる

【鳥羽】おもしろいなぁ。ちなみに、精神分析では感情というものをそもそも信用しません。

【古賀】感情は信用のおけないものとして扱われているんですか。

【鳥羽】そうなんです。精神分析では、感情というのは心の表面であり、むしろより深い真実性に接近しないための擬制だという認識があると思います。だから、古賀さんが感情を書かない、感想を禁止する、というそのスタンスに共感するんですよね。しかも古賀さんの「感想禁止」は現代社会のなかでは反動的です。子どもたちって学校でやたらと感想文を書かされるでしょう。

【古賀】確かに! 跳び箱を跳んでも書かされました。

【鳥羽】そうそう。感想文を書くとき、子どもたちは「苦しかった」「大変だった」「悔しかった」「でも学びがあった」みたいな文章を、無理やり絞り出させられる。この訓練が、実は観察から人を遠ざけているんです。観察をしないと、本当の「思い」にはたどり着けないのに。それをせずにありあわせの言葉で済ませることばかりやらされている。

【古賀】私も感想文は全然書けなかったなぁ。「感想なんてないよ!」と苦しんでました。

【鳥羽】そう、ないんですよ。だから、子どもたちは大人が求める正解をキャッチして、それに追従できる子が賢いということになってしまう。

【古賀】そうやって書いても、自分の本質には全然リーチしないですよね。自分の思いというのは内側からひねり出すんじゃなくて、外の世界をつぶさに観察していくことでつかんでいくんですね。だから、見たままを書いたほうがいい。「思う」と「気づく」は違うんですよ。思っちゃだめ。気づかないといけない。