三菱の名を冠していない企業は、なぜ追加メンバーになった?

戦後の財閥解体の一環として三井・三菱・住友商号の使用禁止令が出た。三大財閥の企業は連絡を取り合い、資金を拠出し合って、米国の弁護士や吉田茂首相に根回しをして最終的にこれを撤回させることに成功した(商号・商標防衛問題)。その時のメンバーが「三菱金曜会」を結成したものと思われる。

旭硝子は戦時中、三菱化成工業に合併していたことから、この運動に参加していたのだろう。旭硝子の社長は「本来、グループ企業が『三菱』の名を社名に付けるには、商標委員会の許可が必要だ。しかし、旭硝子の場合は許可なく自由に『三菱硝子』と名乗れる権利がある」(『週刊東洋経済』1998年5月23日号)と語っている。これは商号・商標防衛問題に参加して応分の資金を拠出し、三菱商号使用の権利を獲得したからであろう。

しかし、「三菱金曜会」メンバーの中には三菱商号を冠していない企業や戦後発足の企業もいる。これらはどういった経緯からメンバーに昇格できたのだろうか。