「欲」を邪魔するもの

「欲しい」と思うのに許可も何もないと今ではわかりますが、確実に何かがわたしの欲を邪魔していました。いったい何が邪魔していたのでしょう。

小学生の頃から、早く大人になってひとり暮らしをしたいと思っていました。早く職に就くために専門学校に進んだ18歳のとき、父が倒れて4年間の闘病生活がはじまりました。あと1年でひとり暮らしという長年の夢が叶うはずだったのに、直前でなくなってしまいました。家族から離れるために願っていたことが、家族によって叶わなかったことで、より大きく落胆しました。どんなに強く願ってもダメなんだと思い込んでしまうには、十分な出来事でした。

こうした過去の経験から、欲しいと願うことを諦めるクセがついたのかもしれません。そうなってしまったのは仕方がないと今でも思いますが、それでも、「欲しい」と望まなければ手に入らないのが現実です。望むときには腰が引けたように遠慮がちに望むのではなく、具体的にイメージすることで、より手に入りやすくなるのだと思います。

会計ソフトウェアに経費を入力する女性
写真=iStock.com/mapo
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私の「欲しい」は理由が明快

〈スーさん(ジェーン・スー)〉

先日、私も財布を買いました。今まで使っていた財布はほとんど手元に残してあるので、それらを眺めれば「なぜこの財布を選んだか」を思い出すことができます。加えて、何が不便だったかも思い出します。そのおかげで、財布は常に具体的な理由に基づいて新調できます。

今回財布を新しくしようと思ったのは、チャック付きが欲しかったから。保存しておかなければならない領収書が多く、かといって毎日整理するほど私は勤勉ではないため、膨れ上がった財布の中身がバラバラと鞄の中に落ちてしまう。これはいただけない。よって、チャックが付いていれば大丈夫だろうという目論見です。

前の財布が黒の長財布だったので、今回は明るい色の二つ折りに変えよう。

さらに最近は現金をそう持たなくても大丈夫だから、遊びに行くとき用の手のひらに載る小さいサイズも欲しい。