ウェルビーイングがマーケティング用語になる弊害

教育社会学の研究者である関西学院大学の桜井智恵子人間福祉研究科教授はこういった現象をこう分析する。

「『ウェルビーイング』が(本来の意味とは異なる形で)ビジネスの世界で広がり始めたということです。その結果、コンプレックスは市場価値によりどんどん生み出され、心のケアの問題にずらされてきました。こうした外見にまつわる価値観が子どもの人間関係に“排除”を生むおそれがあります」

いじめや差別を助長しかねないというわけだ。さらに、こう警鐘を鳴らす。

「家庭もコンプレックスをあおる価値観にリードされると、さらにビジネスのターゲットになり、自らが自らを搾取することになります」

桜井教授によると、「ルッキズム(外見や身体的特徴に基づいて他者を差別する思想)は自己の商品化が求められる末期資本主義社会の特徴とも言える」という。

脱毛広告のあり方を注視してきた研究者の小林美香さんもこう指摘して、問題提起する。

「ウェルビーイングなどの外来語が定着する過程で、社会課題が個人の問題に矮小化される傾向は日本ではよくあること。(前出の)朝日新聞の記事の場合は、“保護者が子供のコンプレックス解消のために良かれと思って対処すること”がウェルビーイングを目指す方法になっています。社会から課せられる規範への服従が前提になっている。それがウェルビーイングなのかと思うと、ゾッとします」

また、前出の広告専門家の中村さんは次のように子供対策を講じる必要性を訴える。

「心の悩み解決=ウェルビーイングのために、脱毛以外の選択肢がある状況を作るのが“多様性の担保”ではないでしょうか? 体毛はあって当たり前で、ルッキズムやコミュニケーションにまつわる教育を子供たちにすることが必要です」

本来、利益追求とは無縁の「ウェルビーイング」という概念が、ビジネスに利用されて子供の外見にまで及んでいる現状に対して、その言葉の本質をよく見直す必要があるのではないか――。私たち大人が、子供たちの真のウェルビーイングを考え、ビジネス戦略に惑わされずに冷静な選択をすることが求められている。

【取材協力】

小林美香博士(学術)

国内外の各種学校/機関、企業で写真やジェンダー表象に関するレクチャー、ワークショップ、研修講座、展覧会を企画、雑誌やウェブメディアに寄稿するなど執筆や翻訳に取り組む。東京造形大学、九州大学非常勤講師。著作に『写真を〈読む〉視点』(単著 青弓社、2005)、『〈妊婦アート〉論 孕む身体を奪取する』(共著 青弓社、2018)がある。2023年『ジェンダー目線の広告観察』(単著 現代書館)、2024年9月『ジェンダー・クィア 私として生きてきた日々』(マイア・コベイブ著 小林美香訳 サウザンブックス社)を刊行。Twitter @marebitoedition


中村ホールデン梨華

炎上から学ぶ社会をめざすAD-LAMP代表
広告コンサルタントを経てブリストル大学修士社会起業論課程在学中。SNSにて「広告炎上チェッカー」(@Enjocheck)として活動する。広告倫理に関する講演やワークショップを行い100以上の広告を分析。炎上広告の市民による代案を展示する「市民広告 Towards Change展」を英国で開催。


桜井智恵子博士(学術)

関西学院大学人間福祉研究科教授。専門は教育社会学、思想史。単著に『教育は社会をどう変えたのか 個人化をもたらすリベラリズムの暴力』(明石書店)、『子供の声を社会へ 子供オンブズの挑戦』(岩波新書)、『市民社会の家庭教育』(信山社)など。Twitter @chie_sak

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