「ポスト安倍」を担ぎ上げた旧安倍派議員の暗躍
自民党は、安倍が率いた清和会を筆頭に派閥政治に明け暮れてきた。派閥ですべてを決めていた、といってもいい。萩生田光一、高木毅、世耕弘成、松野博一、西村康稔の5人衆と呼ばれる面々が親分を支え、派閥主導の政策・人事が推し進められてきた。
裏金問題を契機にバラバラになったとはいえ、かつての所属議員は100人近くいる。その“派閥のような塊”が、総裁選挙中に「ポスト安倍」と目されている高市を担げば権勢を維持できると考えたのだろう。その証拠に、高市の推薦人の半数以上は、裏金問題で政治資金収支報告書の不記載が発覚した議員たちだった。
もう一つは、党が禁じた「政策リーフレット」の存在だ。カネのかからない選挙を掲げた党選管が禁止事項として発出する前に発送しており、全国の自民党を支援する組織を中心に約30万人の党員に届けられた。一説には1500万円を費やしたという。高市陣営は7月末には原稿を仕上げていたと記者会見で釈明したが、岸田前首相は8月14日に退任を表明したのだから、かなり早い段階で準備をしていたわけだ。「党員投票」を研究し尽くしていたことが窺える。
高市ブームに乗って「安倍政治の奪還」に動いた
上司からリーフレットを渡された党員の中には、その場の流れで高市の名前を書いた者も少なくないという。こうして地方に強い石破を差し置いて最多の党員票を獲得することに成功し、情勢調査で高市の追い上げが伝わると旧安倍派議員も乗っかり、「安倍政治の奪還」に動いたというのが実情である。党員選挙を押さえることで勢いをつけ、議員票を巻き込んで自民党を制し、政権を獲る戦略だ。
ではなぜ、高市は決選投票で勝てなかったのか。投票前のスピーチを聞いても石破と差がついたのは明らかだが、大きくは「岸田前首相の動き」と「自民党議員としての最後の良識」が働いたのではないかと思う。
岸田前首相は、機能不全に陥っていたデフレ脱却と量的金融緩和策を柱としたアベノミクスを3年かけて修正していった。その結果、今年3月にマイナス金利は解除され、日本は25年ぶりに「金利のある世界」に戻ってきた。
アベノミクスの失敗については後述するが、自身の政策を振り出しに戻す高市だけは総裁にしてはならないと考えた岸田は、「麻生派、岸田派、茂木派(岸田政権の主流3派)で高市を支援する」というプランを蹴って石破支持に回った。結束が固い旧宏池会と、現首相が支持するならと右に倣えの議員票が動いたとみられる。