家庭の所得が子どもの将来の所得を左右する
民主主義という立場から見れば、教育というものは機会均等で、平等に行われるべきです。ところが今の日本の受験体制あるいは教育システムにおいて、より有利な社会的ステータスを自分の子どもに持たせようとしたら、教育に多額の費用をかけなければならない。それができる親の数は非常に限定されます。
教育が産業化可能である以上、企業がこの分野に目をつけるのは当然です。よりよい教育を得られる、というキャッチ・コピーのもとに、企業側はさまざまな商品やサービスを大量に提供し、利益を上げようとします。
しかし、低所得層の家庭で教育費にかけられる金額は富裕層の家庭の数十分の一、場合によっては数百分の一です。そうした家庭では教育産業が提供する商品やサービスを、子どもに満足に与えることはできません。
教育格差はどんどん広がっていき、この格差は子どもの将来の収入にも影響していくという現実があります。親の収入がそのまま子どもにも反映することで、所得階層間の移転が困難になり(いわゆる「立身出世」や「成り上がり」が不可能になる)、富裕層と貧困層の格差が固定化するわけです。
このように教育という点からだけ見ても、新自由主義体制のもとで格差はますます広がっていくのです。というよりも、新自由主義はあらゆる格差を生み出していき、それが当然であるというシステムと言い換えることもできます。
そして現状の体制が持続する限り、格差社会がなくなるということは決してあり得ないということを、私たちは理解すべきなのです。