架空の評論家になって文章力を磨く

何か自分の好きなテーマを決めて、それの“評論家”になって文章を書き続けてみるという方法もあります。知り合いの編集者は大学生の頃、架空の映画評論家になってブログを立ち上げ、見た作品を批評する文章を週一くらいのペースでアップしていたと言っていました。

最近は「note」という情報発信サービスもありますし、いろいろ活用してみてもいいかと思います。実際、映画の評論というのは文章力を磨くのに効果的です。

まずは、その作品がおもしろいのかそうでないのか、自分が好きか嫌いかといった大枠から入り、内容のポイントがどこにあり、他の作品と違う特殊性がどこにあるのか、つまらない中でも光るところはあったのか、企画の商業的な意図はなんだったのか、監督の狙いはどこにあったのかなどを、的確にわかりやすくまとめる技術が求められます。ときにはユーモアもちょっと混ぜてみる必要があるかもしれません。

ノートにメモを取る男性の手元
写真=iStock.com/Pra-chid
※写真はイメージです

なにしろ、架空とはいえ「評論家」として文章をアップするのですから、あまりにピントがズレてわかりにくい文章では、「ほんとに評論家? 見当違いなこと言ってるよ」ということになり、匿名とはいえ恥をかきます。何より自分が楽しくありません。

言語化するために正しく理解する

「ヤバいくらいおもしろい。とにかく観たほうがいい!」では、意図が1ミリも伝わりませんし、そもそもそんなブログは誰も読みません。何がどう「ヤバい」のかを言語化しなければならないのです。その作品ならではのポイントを最低でも3つくらいあげてみて、その3つを解説するだけでそれなりの感想にはなります。

また、ストーリーを正しく分析するには、登場人物の相関関係、それぞれの性格と立場、台詞から想像できる事実、製作された国や地域の文化なども正しく理解する力が求められます。

書いているうちに語彙が不足していることにも気づくようになり、最初のうちは「めちゃめちゃ感動した」で済ませていたところを「胸を打たれた」「心に染みた」「ハートに響いた」というように表現の“武器”も徐々に増えていきます。いうなれば、読書感想文を書くという作業と似ています。物語を正しく読み取り、それを文章にするには理解力と文章力が必要です。映画を「観る」のは本を「読む」よりも脳の作業は楽ですので、文章のトレーニングとしてはより取りかかりやすいといえるでしょう。