認知度ばつぐんの小泉進次郎衆議院議員は、自民党総裁選でさらに注目され、有力候補とも言われる。戦後の政治史を研究してきた倉山満さんは「もはや若い人は知らないが、進次郎議員の父、小泉純一郎は2001年から5年間首相を務め、その後の安倍晋三首相以降では考えられないほど安定した政権運営をした。現在も健在だが、彼は果たして政治を良くしたのか。今こそ振り返ってみるべきだ」という――。

※本稿は倉山満『自民党はなぜここまで壊れたのか』(PHP新書)の一部を再編集したものです。

2000年に闇将軍・竹下登が没し、自民党の跡目争いが始まった

平成12(2000)年6月、竹下登(第74代総理大臣)は76歳で没しました。その前から姿が見えなくなり病気説がささやかれていました。静かに跡目争いが始まります。

時をほぼ同じくして、小渕恵三首相(第84代)も在任中に倒れて急死します。小渕派は前首相(第82・83代)の橋本龍太郎が収まりはよいだろうと、会長を継ぎます。首相の後継は「5人組」と言われた幹部の談合により、森喜朗幹事長(第85代)になりました。森の他の4人は、野中広務幹事長代理、青木幹雄官房長官、亀井静香政調会長、村上正邦参議院議員会長です。

森内閣は低支持率に苦しみましたが、その背後では竹下の跡目争いが起こっています。極めて単純化すると「野中広務VS小泉純一郎」です。田中角栄が蓄え、竹下登が完成させた手法で最大派閥を率い、組織を押さえて権力を握ろうとした野中広務に対して、小泉純一郎はマスコミを使って権力を握ろうとしました。小泉の背後には参議院を押さえる青木幹雄がいます。青木が小泉に付いたことで小渕派が割れ、野中が推した橋本が総裁選に敗れたことで、小泉が政権を奪取します。

千代田区永田町の自民党本部
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千代田区永田町の自民党本部(※写真はイメージです)

マスコミの扱い方が天才的に上手い小泉純一郎が選ばれた

小泉は、田中型政治と三木型政治の双方の側面を持っている政治家です。金で派閥を養い、力を得るのが田中型政治。マスコミに訴えて世論の人気を得るのが三木型政治。自民党総裁選に勝つには派閥の力が必要ですが、総選挙で自民党が勝っていなければ、自民党総裁など単なる野党のまとめ役です。

中選挙区制の時代だと絶対に自民党が負けないので「マスコミの寵児が首相になった例はない」と言われたのですが、小選挙区制になると政権与党が大敗する可能性がある怖い選挙です。少し国民の雰囲気が変われば、平気で100議席や200議席は入れ替わる。だから、世論に受けのよい総裁を据えないと、代議士たちは自分の身が危ないのです。結果、「変人」「一匹狼」と目されながらマスコミ人気は高かった小泉が選ばれたのでした。小泉が勝った総裁選は平成13(2001)年4月ですが、数カ月後には参議院選挙が控えていました。支持率が消費税並みの森首相で選挙をしたい参議院議員は、自民党には1人もいません。