かつての部下に顎で使われることに耐えられない

狙ったポストを獲得できず、苛立ちや焦燥感がさらなる不運を呼び寄せてしまったのかもしれない。21年、定年退職を迎えた時には、再雇用を選択せざるを得なくなっていた。再雇用で働き始めて半年が経過した頃、インタビューで思いを語った。

「実際には60歳から働かなくても貯金を取り崩して生活はしていけますが、65歳まで働くのが普通の時代になって、妻や近所の手前もあって、家でゴロゴロしているわけにもいきませんからね」

そうして、再雇用を辞してから3カ月ほど過ぎた2023年夏の冒頭の語りへと続くのだ。定年を機に「どん底に落ちた」と語って頭を抱えたまま数分、沈黙した後、顔を上げると、誰に言うともなくこうささやいた。「再雇用では権限のない単純作業で、かつての部下に顎で使われるなど、本当につらい毎日でした……。起業への挑戦よりも、管理職として権力にあぐらをかいていた結果が、このあり様です」――。

年収は役定後も1000万円近くあったが、定年後の再雇用では6割減の約400万円に減った。ただ、再雇用での労働を「つらい」と感じる背景には、悪化した処遇や起業への挑戦を断念した無念さもさることながら、「権力にあぐらをかいていた」日々のプライドが邪魔しているようにも思えた。

プライドを捨て、穏やかな表情に

再雇用を2年目の契約途中で自ら辞めた現在63歳の藤井さんは、24年春から週3日、マンションの管理人をしながら、ボランティアで地域の子どもたちに囲碁を教えている。

「正直、まだ定年前後の光と影のトラウマが消えない面はありますが、かつて固執していたプライドは少しずつ捨てられるようになったのではないかと思っています。年収にして200万円弱の管理人という小さな仕事ではあっても、住人に喜んでもらえるのはうれしいし、趣味で断続的に続けてきた囲碁を教えて子どもたちの笑顔を見られるのも楽しいもんです。うーん、まあ、うまく言えませんが……社内の地位にこだわって周囲から評価を得ることに躍起になっていた定年前と違い、肩の力を抜いて働けていることはありがたいですかね」

そう言うと、視線を外し、取材場所の喫茶室の窓から外の街路樹を眺めた。二十数年に及ぶ取材で最も和やかな表情だった。

瞑想
写真=iStock.com/Amoniak
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