同期が出世ラインから外され不安を感じるように
出会った頃のインタビューで「組織の駒で終わりたくない」と話していた会社との関わり方が徐々に変わり、社内で生き残り、出世していくことを考えるようになるのだ。きっかけは同期や入社年次の近い社員のリストラだった。同年の取材でこう、複雑な思いを明かした。
「2、3年前から自分と課長昇進を競い合ったような有能な同期たちが、次々と出世ラインから外され、子会社に出向させられたり、早期退職への応募を勧められたり……中には法律に抵触しないスレスレの退職勧奨を受ける者まで出始めたんです。実は部次長に昇進する直前まで、異業種交流会で出会った仲間数人とネットビジネスを起業する準備を進めていたんですが……。
自分がリストラの対象になったら、起業の資金計画も立てられないばかりか、それまでの生活水準を維持することすらできなくなってしまう。これからますます教育費のかかる中学生と高校生の子どもたちのことも考えると……。まずは、会社で生き残る、つまり出世して組織内で力を持つことを目指すしかないと……」
彼には珍しく、視線を合わせようとしない。うつむき加減ながら、その顔がこわばっているのは明らかだった。
次第に「社内での生き残り」に集中するようになり…
「もう、起業は諦めたということですか?」
単刀直入過ぎる質問だったと思った瞬間、彼の眉間にシワが寄る。苦悩がにじみ出ていた。
「今日は、もう、いいでしょうか……」
そう言って、取材場所を後にした。あの時、藤井さんの頭から起業計画がすべて消え去っていたのか、それとも当座しのぎのためにいったん先送りしたのか、彼の口から聞き出すことはできなかった。今思い返すと、どちらか決められないからこその苦悶の表情だったのではないだろうか。
藤井さんはその後も管理監督者としての能力を発揮し、順調に出世の階段を上っていく。自身が以前、話したように「組織内で力を持つ」ようになるのだ。2009年、48歳の時に営業部の部長に昇進する。同期や入社年次の近い社員のリストラが相次ぐなかでの“出世頭”だった。
部長職に就くまでのプロセスで取材を重ねるなかで、かつて雄弁に語っていた「組織の駒で終わりたくない」「会社に頼らない働き方」を実践するための手立てとして、自ら会社を興したいという志を捨て去っていく様子がありありとわかった。部長昇進から数カ月後のインタビューで、こう思いを語った。
「権力欲しさに、起業よりも管理職として社内で生き残ることを取ったと思われるかもしれませんが、まあ、あながち間違ってはいませんよ。あっ、ははは……。出世して部下も増え、経営陣とも直接話ができて、会社の重要な意思決定にも関わることができるのは快感です。それに、権力がないと、自分の思ったように会社を変えることはできないですからね。端的に言うと、面白いんですよ」