「支払いは後でいいわよ。保険が下りてからで……」

翌朝、加代子は玄関の戸を叩く音で目が覚めた。この地域の住職の妻・敏子が差し入れを持って来てくれていた。

「しっかり食べなくちゃだめよ」

敏子は、台所に入り、持参した食材で調理を始めた。加代子は敏子の顔を見てハッとさせられた。葬儀をせねば……。悲しんでいる暇などないのだ。

「お葬式のことは任せて。和夫がビラ作ってたよ。早く、犯人見つかるといいね」

犯人はまだ捕まっておらず、加代子は警察に行かなければならなかった。葬儀の件は、敏子に任せることにした。加代子は、人々の温かさに心から感謝した。

賢治の葬儀には、沢山の人々が駆け付けてくれた。しかし、会場を見た加代子は一瞬、不安が過った。

「敏子さん、ありがとう。でも、こんな立派なお葬式……。うちにはとても……」
「何を言ってるの! みんな悲しんでるんだから……」

敏子はそう言って、加代子を励ました。

「困ったことがあったら、いつでも言ってね。それから支払いは後でいいわよ。保険が下りてからで……」

保険……。加代子はまたハッとさせられた。夫を失った悲しみでいっぱいの加代子には、とても先の事を考える余裕などなかった。

日本式の葬儀場
写真=iStock.com/akiyoko
※写真はイメージです

「ちょっと、力貸してもらえない?」

一週間後、住人の協力によって、賢治を轢いた犯人が逮捕された。

「これでお父さんも成仏できるかな……」

加代子は胸を撫で下ろしていた。それからしばらくして、和夫が家に訪ねて来た。

「捕まってよかったね。とにかく、ビラ撒いたりとか、大変だったよ」
「和夫さん、本当にありがとう。和夫さんのおかげです」

加代子は、和夫のために買っておいた酒と果物を渡した。ところが、和夫は何か話があるのか、なかなか家を出て行こうとしないのだ。

「賢治さんもいなくなっちゃったし、なんかあったら俺が車で送っていくから」
「そんな、和夫さん、そこまで気を遣っていただかなくても……」
「こんな昼間っからここにくるってことはさ、俺、困ってるんだよ」
「え……」
「しばらく仕事なくてさ……」

和夫は板金屋で、賢治とは付き合いがあったが、加代子は仕事の事まではよく知らなかった。

「ちょっと、力貸してもらえない?」
「ちょっとって、お金ですか? いくら必要なんですか?」
「すぐに、50」
「50万? そんなお金ありません」
「保険入ったって聞いたけど……」
「いえ。お金の事はすべて息子に任せていますから……、私にはわからないんです」
「じゃあ、30とかなんとかならない」
「だから、家にはお金がないんです……」
「20」
「帰ってもらえませんか……」
「10でも。ほんと困ってるんだ。困った時は助け合うもんだろ」

加代子は溜め息をつき、箪笥の中にしまっていた財布から10万円を取り出し、和夫に渡した。あの日、事故の後、病院まで送迎してもらった交通費と考えても高くついたものだ。

「和夫さんごめんなさい。もう、家に来られてもお金はありませんから」

加代子はそう言って和夫を追い出すと玄関の鍵を閉めた。