建築学科の後輩で、北川さんの試行錯誤を一番そばで見守ってきた妻から「本当は、ああいう子たちのためにインスタントハウスを使いたいんでしょう」と聞かれた北川さんは、「そうなんだよね」と頷いた。そして、「じゃあ、やってみようか」とふたりで話し合ってから間もない翌月8日、モロッコ中部の山間部で大地震が起きる。

調べてみると、モロッコでは仮設住宅1棟が100万円弱することがわかった。トルコの時と同じ思いはしたくない。北川さんは思い切って10分の1の価格を目指した。

市販しているインスタントハウスは10年程度の利用を想定し、その間、不具合が起きないようハイスペックになっているが、仮設住宅はそこまで必要ない。テントシートの素材を変え、発泡ウレタンも高度な吹付技術が必要で価格も高いもの(独立気泡の発泡ウレタン)から、海外でも簡単に入手できるもっと安いもの(連続気泡の発泡ウレタン)に変えた。

名古屋工業大学の北川教授
撮影=白石果林
保温性や耐久性などを保ちながら、10分の1の価格になるよう素材や技術面を見直した。

これで、施工1時間、原価15万円の人道支援用インスタントハウスが完成。大学で実験して十分な強度があるとわかると、北川さんはモロッコにいる知り合いに連絡。「夜はとても寒い。お願いしたい」という声を聞き、スーツケースにテントシートだけを入れて現地に飛んだ。

現地で連続気泡の発泡ウレタンを調達し、ひとりで施工したところ、想定通り1時間で完成した。その様子がモロッコのテレビ、ラジオで放送されたこともあり、後日、モロッコ政府から接触があった。現在、インスタントハウスの導入について、政府関係者とやり取りを重ねているそうだ。

二度目のトルコで悔しさを噛みしめる

その2カ月後、北川さんは再びトルコにいた。防災を担当する省庁から、災害時の仮設住宅としてインスタントハウスを導入したいと招かれたのだ。その際、副大臣との話に上がったのは、ヌルダー。そう、地震直後に「インスタントハウス100棟分の土地を用意する」と言ってくれた町だ。震災から9カ月が経ち、まだ復旧作業が続く町なかには無数の仮設住宅が立ち並んでいた。そこを副大統領と視察した北川さんは、目を疑った。

「町のメインストリートに面した一角に、100棟分の土地がきれいに整地されたまま残っていたんです。いい場所だし、もうなにかに使われているだろうと思っていたのに……」

トルコの町ヌルダーでは今も100棟分のスペースが空いている
撮影=白石果林
トルコの町ヌルダーでは今も100棟分のスペースが空いている。

脳裏に蘇ったのは、東日本大震災の記憶。

「仮設住宅が建つまで、なんで3カ月も6カ月もかかるの? 大学の先生なら、来週建ててよ」

トルコ政府は北川さんを歓待し、この訪問以降、人道支援用インスタントハウスの正式採用に向けて本格的に動き出した。しかし、北川さんは悔しさを噛みしめながら帰国した。

その後悔が、新たなアイデアをもたらしたのかもしれない。北川さんはコロナ禍に、感染症対策として使えるのでは、と屋内用のインスタントハウスを作り始めた。当初は屋外用のインスタントハウスを小型化したものを想定していたのだが、用途を考えると手間と時間がかかり過ぎているように感じて、開発が止まっていた。