BMWカブリオレで大学に迎えに来たボーイフレンド

東京世田谷生まれ。都内の私立お嬢様女子校で小・中・高を過ごしたバブ子さんは、1988年東京の名門女子大に進学します。

入学後は、東大、慶應の男子学生との合同サークルに所属します。女子は白百合、聖心、東女あたりのお嬢様女子大。どちらも夏はテニス、冬はスキーのシーズンスポーツを楽しむというのは名目で、彼氏・彼女探しが目的の軟派集団でした。その中でもひときわ光っていたというバブ子さん。

見た目の華やかさに加え、お嬢さん育ちながらも頭の回転が速く、何事も率先して行動するタイプで、当然男子学生からモテました。

合コン、パーティーに明け暮れる毎日。お嬢さまは就活などせず良家に嫁ぐものとされ、それが憧れの人生という時代でした。

ブランド品で身を飾り、頭の中は勉強よりもお洒落と恋愛。それがバブル期の女子大生でした。バブ子さんとて例外ではなく、大学の門までBMW850カブリオレで迎えに来たボーイフレンドの助手席に颯爽と飛び乗る彼女の姿は、ユーミンの歌詞のヒロインそのものでした。

王子様の専業主婦になるのが〈勝ち組女性〉

当時、女子大学生にもヒエラルキーが存在しました。東京の山の手育ちで小学校から私立の名門に通い、お嬢様女子大に進み、慶應か東大の彼氏がいる――というのが頂上グループ。

一方下位グループの地方出身の貧乏下宿生は、同じ女子大生でも上位に比べ恩恵はあまり受けていません。

まごうかたなき上位グループだったバブ子さんは、大学卒業後は就職せず、家事見習いとお稽古事で過ごします。そういうスタイルが就職する女子よりも位が上とされる時代でした。そして24歳で、バブ子さんは当時付き合っていたボーイフレンドと結婚します。

夫の平成ジュンイチ氏(仮名)はバブ子さんと同い年で、彼女の誕生日には車トランクいっぱいの薔薇の花をプレゼントしたという逸話の持ち主。

実家は都内に何軒もレストランを所有する資産家で、幼稚舎からの慶應ボーイ。若い頃の石田純一に似たハンサムで、石田純一と同じくらいおシャレだった彼にバブ子さんもぞっこんでした。彼に嫁ぎ、専業主婦になることに何のためらいもありませんでした。というか、当時それこそが〈勝ち組女性〉だったのです。イケメン・金持ちの王子様に見初められ、専業主婦になることが。

アジアの若い新郎新婦
写真=iStock.com/SunnyVMD
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