周りの人みんなに配慮するなんて不可能

このような「配慮が足りない」という批判はあちこちで聞かれるが、単に配慮が足りないことは、誰かを故意に傷つける誹謗中傷とはまったく違う。それぞれ立場も価値観も違うのだから、全方位的に配慮するなんてどう考えたって不可能だ。

配慮というのはボランティアと同じでそうしたい人がやればいい話であって、強要するものでは決してない。

お互いに配慮し合える社会こそが優しい社会だという主張は本来的に間違っていると私は思うが、ほとんどの人が反対できないような言説を声高に叫ぶ人は自分の正義幻想を満足したいだけなのだ。

そのような一方的な「正義幻想」が、「配慮の足りない人は叩いてもいい」という発想を生むのだろう。そうなるともはやこれは「多様性の尊重」からははるかに遠い話だな。

「子持ち様」vs子どもがいない人の対立

「産休クッキー」問題の背景には、子どもを産む人たちと産まない人たちが何かと対立しやすいという事情もある。

SNSには小さな子どものいる親を「子持ち様」と呼び批判する書き込みが広がっていることから見ても、どちらかというと子どもがいない人たちが怒りや不満を募らせているようだ。

特に多く見られるのは、育児休暇を取ったり、子どもを理由に休んだり早々に帰ってしまう人たちがいるせいで、自分たちの負担が増えてしまったじゃないかという意見である。

国が少子化対策に必死なので、子どものいる人が児童手当をはじめ、いろんな意味で優遇されているように見えることも、きっと面白くないのだろう。

中には自分が払った税金で他人が子どもを育てていることに納得がいかないという声もあった。

まず大前提として、子どもを持つ持たないはその人の自由なので、当たり前だがどちらが上で、どちらが下ということはない。

母親の指を握る赤ちゃんの手
写真=iStock.com/west
※写真はイメージです

また、子どもを産んだ人たちには育児休暇を取得する権利はあるし、仕事より子育てを優先するという選択をする権利も当然ある。「当たり前のような顔をして産休を取ったり、さっさと帰ったりするのが許せない」という声もあったが、それは当たり前のことなのだから怒ったって仕方がない。

ただしそのせいで、子どもを持たない人たちが明らかな不利益を被っているのであれば、通常は保障されない「受動的な権利」をその人たちが求める権利は当然あると思う。