「英語楽しいなって思いました」

仙台のJリーグチーム「ベガルタ仙台」。撮影は震災後最初の試合が行われた日(2011年4月)に見た横断幕。

菊池直樹(きくち・なおき)さんは、仙台駅から約30キロメートル南方の亘理(わたり)町にある宮城県亘理高等学校普通科の3年生。所属はサッカー部。仙台市北部の住宅地に暮らす菊池さんは、「自転車(25分)~仙台駅から亘理駅(常磐線30分)~亘理駅から自転車(10分)」という行程で通っている。「朝は5時30分ごろに起きます。学校に間に合う電車は、仙台駅7時19分発のみです(泣)」。なお、亘理は仙台発上り常磐線の現時点での最南端駅だ。そこから福島県の相馬駅までは線路が津波に呑まれ、まだ復旧していない。震災直後、菊池さんはお母さんを手伝って避難所で働いていた。

「母は仙台市の青葉区役所で非常勤で働いています。震災のときは大変でした。人手が足りなかったみたいなんで、避難所の手伝いとかも一緒に行きました。ぼくは受け付けしたり、掲示板貼ったりとか、ご飯運びしたりしてました」

菊池さんの将来の志望は看護師だ。

「看護師になると、全国でどこにでも行けて、国際的にもNPOとか海外で活動もできたりできるので、それがいいかなと思ってます。きっかけは、親戚に看護師がいて、仕事の内容とか聞いてて。ほんとうは医師になりたかったんですが、現実の学力の面とかを見て看護師のほうを」

シビアな質問をします。学力的に医師ではなく看護師でと考えたのは、いつごろですか。

「高校1年生ですかね。まず、行きたかった高校に行けなくて。大きく言うと、英語が苦手でした。でも、今回『TOMODACHI~』に参加したことで、英語楽しいなって思いました。外国の人とコミュニケーションが取れるってことはとても楽しいってわかって。やっぱりことばがわかれば、どんどん世界観も広がるし、友だちも増えると思って、今、もう1回基礎から勉強してます」

するり、と聞き逃しかねないので重複を承知で記しておく。英語が苦手で、行きたかった高校に行けなかった高校生が「TOMODACHI~」に参加したことで「英語楽しいなって思いました」と笑顔で語る。看護師になって、国際的に働く可能性も視野に入る。そのことひとつだけでも、「TOMODACHIサマー2012 ソフトバンク・リーダーシップ・プログラム」の意義は大きい。菊池さんは今回の渡米が人生初の合州国体験。他の国を知るということは、自分が暮らす国のことを知るという体験でもある。

「最終日かな、サンフランシスコの街に買い物に行ったんですけど、ホームレスの人に目を付けられて、ついてきたんですよ。一緒にいてくれたメンターの人が回り道して振り切ることができたんですけど、やっぱり一歩外に出たら危機感を持たないといけないんだな、と。ふつうに銃持ってる人とかも見ましたし、日本はどれだけ安全かっていうのがわかりました」

さて、菊池さん、看護師という仕事に就くためには、何が必要だと考えていますか。

「国家試験を受けて、看護師の資格を取る。そのためには、専門学校か、大学の看護学科に行く。ぼくは大学を受けます。県内だと東北大学と宮城大学ですね。第一志望では宮城大を狙っているんですが、うちの高校でも、3年に1人とかそういう割合なので、頑張ってます」

宮城大は仙台の街中から外れた山の中にありますけれど、それは構わない(笑)?

「構わないです。近くにアウトレットができたので(笑)」

県立の宮城大学のキャンパスは、仙台市北部の泉区に三菱地所が造成した高級住宅地「泉パークタウン」に隣接する。2008(平成20)年には敷地内に三菱地所系の「仙台泉プレミアム・アウトレット」が開業した。他にも仙台には、「三井アウトレットパーク仙台港」(2008[平成20]年開業)が東に、西に地元の不動産会社が運営する「ヒルサイドショップス&アウトレット」(2002[平成14]年開業)がある。玄武(北)、青龍(東)、白虎(西)と揃い、あとは南の朱雀を残すのみだ。仙台は神社仏閣や自然地形の代わりに、アウトレットが四神の位置にある。

余談をもうひとつ加えれば、菊池さんが目指す宮城大学の近くには宮城県図書館もある。近代的な建屋と蔵書数108万点(視聴覚資料含む)を誇る巨大図書館だ。かつては仙台の交通至便な街中にあったが、1998(平成10)年に仙台市の北辺に移転した。最寄り駅は、ない。今回、取材に参加してくれた高校生4人は、いずれも仙台北部の住宅地に住んでいるのだが、「使わないですね」「1回しか行ったことない」「チャリで行くのも山を越えるのが大変で」と、「学都仙台」最大の図書館の評判は悪い。

さて、菊池さん、仕事をしているときはどこに住んでいますか。