「今でもいろいろと悩んでいる段階」

小林ゆりさん(宮城第一高校2年)。

宮城県宮城第一高等学校は、仙台では長く「一女(いちじょ)」と呼ばれてきたナンバースクールだ。1学年280名。2012年度は108人が国公立大学に現役合格。うち、地元の東北大学に27名が現役合格し、東京大学にも1名が現役合格している。1897(明治30)年に仙台市高等女学校として開校。終戦後の学制改革で、1948(昭和23)年に宮城県第一女子高等学校と改称。仙台のナンバースクールで学生運動が盛んだった1973(昭和48)年には制服を廃止。以来、服装は自由だ。2008(平成20)年に共学化し、校名を宮城県宮城第一高等学校に変更した。同校2年生(理系クラス)、管弦楽部でヴァイオリンを弾く小林ゆりさんに話を訊く。小林さんは、将来何屋になりたいですか。

「けっこう漠然としているんですけれど、医療系に進みたいと思っていて。『TOMODACHI~』に参加してアメリカに行ったことで、海外の子どもとかを助けるボランティアがあることを知って、人をどうにかして助けたいっていうか、役に立ちたいなと思ってて。具体的にどこに進むかっていうのは、今、すごく悩んでる状態です」

医療系に進みたいと思ったきっかけは何ですか。

「ちっちゃい頃から、なんとなく。自分が病院とかに行ったりする中で、憧れたりとかして」

医療系に進むためには、何を手に入れておいたほうがいいと思いますか。

「やっぱり大学を出て……。ただ、医療系の私立って学費がすごい高いので、親にも『ぜったい公立に行け』って言われてるので、頑張って勉強をするかんじです」

具体的な学校のイメージはありますか。

「まだ、なんかあんまり……。仙台だったら、たぶん東北大とかしかないですし。東北のほかのところだと、山大とか岩手大とか、そういうところとか。あとは関東とかですね」

取材から4カ月後、2月に入ってから小林さんに追加質問のメールを送った。その後、「漠然」が「具体的」になったものがあれば教えてください。

「進路については今でもいろいろと悩んでいる段階です。でも、研究職ではなくて、人と接する仕事がいいなぁとは思っています。単に、研究だけではつまらなさそうっていうのが、いちばんの理由です(笑)。わたしは人と接することが好きなので、いろんな人と出合いたいです。あとは、自分が誰かの役に立っているのを直接実感出来るところもいいなぁと思います」

小林さんは「やっぱりまだ漠然としていてすみません」と書き添えている。ここまで連載取材を続けてきての実感だが、同じ東北でも、普通科進学校の生徒には「漠然」の傾向がある。彼ら彼女らは、実業高校のように高校進学時点で職業観をある程度絞り込むことがない。卒業時点でも大学に進むことが前提となっているので、職業選択は「さらにその先」の持ち越し事項となる傾向がある。小林さんは「連載を読んでいると、皆進路も目標もはっきりして、しかもそれを堂々と言っていて、本当にすごいなぁと思って焦っています」とも書き添えてきたが、これは都市部の進学校ならではの「焦り」だろう。

「TOMODACHIサマー2012 ソフトバンク・リーダーシップ・プログラム」に参加した小林さんは、三陸沿岸や福島県浜通りからやってきた高校生たちと3週間を一緒に過ごした。進学先から予備校まで、”なんでも揃っている街”仙台に暮らす小林さんは、そのとき何を考えたのだろうか。

(明日に続く)

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