福島第一原発の放射能汚染により福島市内の仮設住宅で避難生活を送る住民たちが、“メード・イン仮設住宅”の着物を製造・販売することになった。
発案したのは、福島市の松川工業団地の第一仮設住宅に避難している50~80代の主婦10人。3月10日と11日、千葉県柏市の百貨店「そごう」6階の衣料品売り場の一角で、手づくり着物を販売する。出身地である福島県・飯舘村の現状などを訴える写真展も開く。飯舘村は全戸計画的避難区域の指定を受けて村民はほぼ全員が他地域に避難した。
主婦たちが着物づくりを思いついたのは昨秋のこと。避難住民のうち、男性や若者は仕事を求めて他所に移り、仮設住宅で暮らすのは老人や中高年の主婦が多い。村では農作業に従事していたが、仮設住宅では仕事もなく一日中部屋にこもりがち。このため避難生活が1カ月を過ぎた頃から、老人の認知症が進み、うつ病を訴える主婦も出てきた。
「団地の管理人の佐野ハツノさんが、“このままでは皆が病気になってしまう。団地の集会所に集まって、みんなで手仕事でもしたらどうだろう”と主婦たちに持ちかけ、一方で日本農業新聞を通じて“余った布や古着があったら寄付して”と呼びかけた」(団地関係者)
全国から古着などが多数寄せられたが、ミシンをはじめ裁縫に必要な機械や道具が手元にない。そこで佐野さんは、震災後、毎週欠かさず団地を訪れるジャーナリストの浪川攻氏に応援を求めた。
浪川氏は親しい企業幹部らに声をかけた。集会所に集まった主婦たちは、某金融機関が寄付したミシンや手縫いで「までい着」という作務衣に似た着物を120着ほど完成。そごうも会場の無償提供を決めた。
飯舘村の除染が終了し帰村が始まったとしても、放射能汚染の風評は消えず、農業・酪農再開は難しい。が、国と県は帰村後の雇用についてまったくの無策だ。
「東電の賠償金が少々あっても雇用がないと村は再生しない。国と県は帰村させて“後は勝手に生きていけ”というつもりかもしれないが、佐野さんたちは“昔のように働く喜びがほしい。できれば手づくり着物工場を村につくって働く場にしたい”と話しています」(浪川氏)