『紫式部日記』には、誰かに書き送った手紙文のような文体で書かれた箇所が含まれている。そこには、つまらないと評判の彰子サロンを客観的に観察しての率直な感想が書かれている。
定子亡き後、すぐれた女房たちが集っているともっぱら評判だったのは選子[ii]斎院のサロンである。この消息文(手紙の文章)には、選子斎院のサロンと比較して彰子サロンを評するところがある。
あるとき紫式部は、選子斎院のもとで女房出仕している中将の君という人の書いた文をこっそり見せてもらったのである。すると、それは優美な筆致で、我のほかに、この世の物の道理をわきまえていて思慮深い人はいない、およそ世の人というのは心も肝もなく無分別だとでもいう書きぶりで、読んでいてむしょうに腹が立ってきたというのである。そこには「和歌などの情趣をわきまえている人はいまどき我が主人の斎院さまをおいて他にだれがいるでしょうか。いまどきの世に情趣をわきまえたような人が出くるとしたら、我が斎院さまがそれを正しく判断することでしょう」と書かれていた。
紫式部は、実際、斎院サロンは評判だが、だからといって斎院方から出てきた和歌にとりわけすぐれて良いとみえるものはない、ちっともたいしたことはないではないか、と手厳しい。実際、斎院サロンは、風流、風情がある女房たちが集まっているところだとはいうが、そこに仕えている女房を比べてみても、こちらの彰子サロンの女房たちに必ずしもまさっているというわけではない。ただ斎院というのは、常に人が出入りするようなところではなくて、趣き深い夕月夜やら、有明方(夜明けの時分)、花盛りの頃、ホトトギスのやってくる頃などに集いがあるわけなのだから、それで趣き深い所にみえているだけなのだ。自分だって斎院のもとに仕えていたら、どんなにか優雅な女房にみえることだろう、と書いている。道長から評判の選子サロンからすぐれた女房を彰子サロンにハンティングするのはどうかという問い合わせでもあったらしい。その上、道長は選子斎院に仕える女房にもだれか紹介してくれないかと問い合わせたのだろう。その返事が、紫式部がこっそり見せてもらったという中将の君の手紙なのだろう。