「知的中間層」が新聞を買い支えた黄金時代

【大澤】「みんなが同じものを読んでいる」という共同体幻想のようなものは、私の見立てでは、例えば1932年(昭和7年)に遡ることができます。この年、東京では市域が拡張され、15区から35区へ、面積は約7倍に膨れ上がります。同様のことは全国的に進みました。そうやって新たに誕生した新市民層、それまで新聞購読者たりえなかった人たちにまで、新聞社が手をのばすようになったわけです。

新聞を見る男性
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ここは『批評メディア論』で私がこだわった点ですが、1923年(大正12年)に震災で東京が焼けた後に始まった円本ブームを起点とする出版大衆化の流れがその背景にはあります。それまでインテリ層が独占していた読書の習慣を、出版界がもっと広い範囲へ浸透させたことで、マスやマジョリティとしての読者層が形成されます。新聞社もここに目をつけて、一般読者を引き付ける学芸面などを充実させていった。

そこに知的中間層とでも呼ぶべき人たちが急増し、それが長く新聞を買い支えてきました。けれども、関東大震災から100年を迎えた2023年、くしくもその年に新聞購読者はついにマイノリティになった。まずはこの現状を受け入れなければなりません。1紙だけで800万部も1000万部も出ていた「黄金時代」が、いくつもの偶然の重なりによって、奇跡的に成立した例外状況だったという前提に立つ必要がある。

なぜ昔の人は「読みもしない百科事典」を買いそろえたのか

【西田】知的中間層が支える新聞黄金期自体が幻想だった、というのは面白い指摘ですね。

ぼくも以前から中間層はやせ細っていると思っていて、たとえば昔だったら、「賢く見られたいから」と読みもしない百科事典を買いそろえたりしたものです。つまりここには「賢い、知的であることは好ましいものだ」という共通意識、建前があったわけです。しかし現在、中間層の脆弱さが明らかになり、「知的であれ」という建前さえも失われたのではないか、と。これは大きな転換点だと思うんです。

【大澤】教育社会学の竹内洋さんが『教養主義の没落』(中公新書)を出したのが2003年ですが、まさにその後の20年間で「知的であれ」という建前は完全に瓦解しました。だからこそ「エモい記事」には意味があるのだというのが、現在の新聞社の人間の判断です。