批評が批評として受け止められなかった

【大澤】西田さんが記事の最後に、この記事もエビデンスはないが……と自己ツッコミというかタネ明かしをしているとおり、エモい記事批判そのものをエモく展開するというパフォーマティブなねじれに、西田さんのふてぶてしいまでの批評のたくらみがあったわけでしょう。そのへんがあまり伝わっていないのかもしれません。

【西田】それを指摘してくださったのは大澤さんくらいです。確かに誤読させるような書き方をしてはいるけれど、そこに新聞社の人たちが誰も気付かずに「エモい記事批判はおかしい!」「エモさなくして記事が書けるか!」という反論の一辺倒だったことに、地味にショックを受けました。

【大澤】エモい記事批判をエモーショナルに展開した西田さんに対して、朝日の人たちが取るべきは一択。エモい記事擁護をエビデンシャルに展開する、これに尽きていたはずです。ねじれにねじれで返す粋なエモさを見せてほしいところでした。ところが、そこを感情論でやってしまう……。

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写真=iStock.com/Tero Vesalainen
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「派生的なビュー数だけ稼ぎたい」ように見える

【西田】さらに言うと、ぼくの記事を扱った「Re:Ron編集部」が反論となるインタビュー記事を2本、掲載したのも衝撃でした。1本目は米ジャーナリズム教育・研究機関に所属するチップ・スキャンランさん、2本目は東京大学の林香里教授で、いずれもぼくの記事を批判し、「エピソードやエモ要素は必要だ」と主張するものになっています。

どちらもぼくの記事を引き合いに出してその主張に反論していますが、これではもはや欠席裁判です。せめて再反論を書かせてほしいものですが、何の打診もありませんでした。

【大澤】西田さんの文章は、一度このへんで最近の紙面の傾向について議論の場を立ち上げてみませんかという正面からのメッセージとしか読めないはずで、それに対するアンサーが欠席裁判めいたやり方なんだとしたら、その内容はさておき、とても残念なことです。

反論企画がリリースされたときXにも書きましたが、この一連の流れの何が問題かというと、厄介な直接の議論は御免こうむりたいが、派生的なビュー数だけはきっちり稼がせてもらいますよとしか、理論上は見えないところです。もちろん、そんなことを意図したわけではないのはよく分かっています。ですが、意図するしないにかかわらず、そう見えてしまう現在のメディア環境への自覚のなさを残念に思うんです。朝日は自分のところ発で他メディアも巻き込んだ面白い展開をつくるチャンスだったんですけどね。面倒かもしれないけど、そうしたことの積み重ねの先にしか道は開けません。