素質があっても努力できないのはなぜか?
世の中のどれくらいの人が、努力を苦と思わないのでしょうか? 先の記事では、努力しやすい「内的統制」の人が意外に多く存在することを紹介しましたが、「自分は幸運だ」と思っている人は、実際どのくらいいるのでしょうか?
大学の期末試験における調査で示したように、幸運を期待している人は努力をしない傾向にあるといえそうです。幸運だと思っている人の数を見ることで、内的統制の人の数とはまた別の側面から、「努力しやすい人」と「努力しにくい人」の分布をうかがうことができるでしょう。
著者を含む研究チームは、近畿大学の経済学部と経営学部の学生を対象に定期的にアンケート調査を行っており、ここで運に関する質問をしています。その質問は「あなたはこれまでの人生で運がいいほうか悪いほうか、どちらだと思いますか?」というもので、「いいと思う」「どちらかといえばいいと思う」「どちらかといえば悪いと思う」「悪いと思う」の4つから当てはまるものを1つ選んで回答させています。
892件の回答があった調査の結果は図表4の通りでした。
多くの大学生は「自分は運がいいほうだ」と考えていて、「いいと思う」と「どちらかといえばいいと思う」を足した割合は77%にもなります。
もちろんこれは1つの大学の、特定の学部の学生というかなり限られたサンプルでの結果なので、日本国民全体に当てはまるかどうかはわかりません。しかし、8割近い大学生が「自分は運がいい」と考えているのは驚くべき結果ではないでしょうか。
ポジティブな考え方が大多数を占めているといえるので、未来は明るい気もするのですが、ここまで見てきたように「努力」という観点からは少し心配になる結果ともいえます。
「たまたまうまくいっただけ」という人の「見えない努力」
しかしそんな中、「運が悪い」と言い切っている人も7%程度、存在します。彼らはなぜ、自分を幸運、または不運だと思うようになったのでしょうか。
前述のように、経験によって運の重視度が変わるのだとすると、この運に対する信念は個人の中で変化しているかもしれません。そのような個人の中での価値観の変動を捉えることはできるでしょうか。
実はこのアンケートは半年に1度実施しているので、同一個人の時間的変化を追えるようになっています。このアンケートに4回以上回答していて、運に関するこの設問の回答がずっと同じだった人の数は31.8%(回答者689人中219人)でした。つまり、約70%の人は、運の感じ方がその時々で変わっているのです。
いったいどのような出来事が、彼らの運の捉え方を変えたのでしょうか。ある人の運の知覚を変えたイベントを特定できたとしたら、非常に興味深い結果が見えるでしょう。
我々のアンケートでは交友関係の変化、成績の変化、ライフスタイルの変化など、多種多様な項目を測定しているため、その中から運の認識を変えた要素を見つけ出せる可能性はありますが、まだ具体的な分析はできていません。
運の捉え方や幸運の自覚は、努力に大きく影響します。「自分は幸運だ」「どうにかなるさ」というポジティブさは美徳である一方、努力を妨げてしまう悪癖となる可能性があります。
そういう「運まかせ」にしたくなる思いが芽生えたときほど、「努力」の必要性を思い起こすべきでしょう。
また、「たまたまうまくいっただけ」という人ほど、見えない努力をしている可能性が高いです。様々な研究が示しているように、成功するのはやっぱり、「運がいい人」ではなく「必要な努力ができる人」であるといえるでしょう。
もしあなたが努力したいと思っているのであれば、まず「努力が報われる世界である」と信じること、そして、「幸運に恵まれる」と思い過ぎないことも必要かもしれません。
※参考文献
・Darke, P. R., and Freedman, J. L. (1997) “The Belief in Good Luck Scale” Journal of Research in Personality, vol. 31(4), pp. 486–511.