アメリカ女子砲丸投げのルーベーン・ソーンダーズは、表彰台に立った際に両腕を頭の上で交差させた。黒人で性的少数者でもあるソーンダーズは、「Xポーズ」と呼ばれるこのジェスチャーで「抑圧されたすべての人が出会う交差地点」を示したと語っている。

表彰台での抗議を禁じた国際オリンピック委員会(IOC)の規則に抵触するにもかかわらず行ったのだから、よほど切実な思いがあったに違いない。

【東京五輪】表彰台で初のデモ行動 砲丸投げ米女子選手が腕を交差」BBC NEWS JAPAN 2021年8月2日

競技成績を残すことと並行して、自らが及ぼしうる社会的な影響力を自覚した上でのこうした行動は、目を凝らせばたちまち見えてくる。進退をかけた彼、彼女たちのメッセージを、私たちは勝敗をめぐる言説をかき分けながら真摯に受け止めなければならない。

スポーツ界から追放されてでも伝えたかったこと

先に述べたメキシコ五輪での「ブラックパワー・サリュート」には、また別のストーリーがある。

銀メダルに輝いたオーストラリア代表のピーター・ノーマンは、白人でありながらもトミーとジョンに賛同し、ふたりがつけていた「人権を求めるオリンピック・プロジェクト(Olympic Project for Human Rights)」のバッジを胸につけて表彰台に上がった。

大会後、この行為に批判が殺到し、アメリカスポーツ界から事実上の追放を余儀なくされたスミス、カーロスと同じくノーマンもまた不遇の時を過ごした。1972年ミュンヘン五輪では、予選会で3位の成績を残したにもかかわらず代表に選出されなかった。晩年は鬱に苦しみ、2006年にこの世を去った。葬儀にはスミスとカーロスが列席し、棺を担いだ。

ノーマンが亡くなる前年の2005年、スミスとカーロスの母校であるサンノゼ州立大学は彼らの抗議行動を賞賛し、表彰式での様子を再現した銅像を建立した。だが、ノーマンが立っていたはずの2位のスペースにノーマンの銅像はない。「自分が立ったのと同じ場所に、皆も立ってほしい」。そうノーマンが願ったからである。

「社会に対する自分の考え」を発信してほしい

私は、このノーマンの願いを受け止める。勇気を持って声を上げた人に寄り添い、本人と社会にそれを伝えるために声を上げたい。五輪そのものにNOを突きつけ、「アスリート・アクティビズム」に着目してパリ五輪を見届けようとする私の心の奥底には、このノーマンの遺志が確かに存在している。

とくに日本人トップアスリートからのメッセージを、私は期待している。なにも人種差別への抗議や政治的な発言といった大きなイシューでなくてもかまわない。スポーツの枠内にとどまらず社会で起きていることに関心を向け、それに対する自らの考えを示すだけでいい。子供たちに夢を与えられると思っているならば、その子供たちが伸び伸びと健やかに育つ社会を築くためにはどうすればいいのかをぜひとも口にしてほしい。

物乞いをする子供
写真=iStock.com/Tinnakorn Jorruang
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