人は「一人になれる時間」を無意識に欲している

しかし、孤独を悪者に仕立てたところで、それで何が解決するというのでしょう。

「人は一人では生きていけない」のはその通りだと思いますが、さりとて、ずっと誰かと一緒にい続けることも不可能です。そもそも「孤独を感じる」こと自体が悪いことなのでしょうか? もっといえば、「孤独を感じる」ことと「孤独を苦痛と感じること」とは別物です。

コロナ禍において、在宅勤務が強制された際に、最初はずっと家族で一緒にいられることを喜んだ人たちも、一人になれる時間が失われたことでストレスを感じた人も多いはずです。家と会社とを往復する通勤時間が、無意識の「一人になれる時間」として貴重だったと再認識した人もいるでしょう。

生まれたばかりの子の育児につきっきりの母親も、親や夫に子を一時まかせ、一人で外食をするだけでも随分と気が楽になるということもあるでしょう。

孤独であることは、時に必要な時間でもあるということなのです。

窓のほうを向いているシニア男性のシルエット
写真=iStock.com/Yaraslau Saulevich
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その本質は「家族や友達がいないから」ではない

拙著『居場所がない人たち 超ソロ社会における幸福のコミュニティ論』(小学館新書)の中でも、この「孤独」をテーマに一章をさいて説明していますが、大事なのは、孤独を一括りですべて悪とするのではなく、「必要な孤独」と「苦しい孤独」とを分けて考え、特に「孤独を苦痛と感じる根本は何か」を正確に把握していくことです。

内閣官房に孤独担当室が設置されて、孤独や孤立の実態調査が計3回実施されています。そこから見えてくるのは、孤独の本性とは、決して「家族がいない・友達がいない・頼れる人がいない」という人のつながりの問題だけではないということです。

具体的に、2023年実施の内閣官房「孤独・孤立の実態把握に関する全国調査」から見てみます。

この調査では、孤独を主観として感じるレベルを5段階に分けて調査していますが、「常に感じる・時々感じる」というトップ2の割合で見ると、男女差はほぼありません。年代別では高齢者よりも現役世代のほうが高く、配偶関係別では有配偶がもっとも低く、未婚や離別死別が高く、当然、夫婦や家族よりも単身世帯のほうが孤独感は高い。

仕事や趣味などで外出する頻度が低いほど孤独感は高く、家族以外との友人などとの会話頻度が低いほど高くなっています。