自分の中でのごく当たり前を貫いているだけ

また、この発想に驚いたもう一つの理由に、自然と全社員を楽しいことに巻き込み、自分事として受け止められるようにしている点があります。

「新商品について勉強会をやるから全員参加してください」と言われたところで、喜ぶ社員はごくわずかでしょう。

いえ、ゼロと言ってもいいかもしれません。強制参加をしなければいけないような雰囲気が出ているだけで、気乗りしなくなる人もいるはずです。

しかし「新商品を使ったホットケーキ大会を開催します」と言われたらどうでしょうか。「なんだそれ? 面白そう」「料理は得意だから腕の見せ所だ!」など、途端にワクワクし、どんなホットケーキを作ったら良いのかを考えるために、おのずと新商品のことを知ろうとするのではないでしょうか。

このように、常識にとらわれないアイデアをいくつも生み出しながら、ごく自然に周りを巻き込めるのも、天才ならではだと私は考えています。

こうした提案を「突拍子もない」とか「ユニーク」などと表現する人もいますが、天才は、自分の中でのごく当たり前を貫いているだけ。常に考え続けているだけなのです。

だから、常識も流行のように驚くべき速さで入れ替わります。天才に伴走する凡人になるためには、常識にとらわれている暇なんてないのです。

履歴書には目を通さず、適材適所の人事をする

面接時、私は志望動機や経歴についてさほど聞かれませんでした。それどころか、履歴書に目を通している様子すらなかったように思います。

後でわかったことですが、それは私だったからというわけではなく、誰に対しても同じようにしていました。

履歴書を渡されてもすぐに横に避け、相手との対話を楽しみます。何も知らない人からしたら履歴書を見てもらえない=興味を持ってもらえないと受け取ってしまうかもしれませんが、天才は対話によって、その人の本質を見抜こうとしています。

だから、どれだけ履歴書に志望動機や特技などが書かれていても、関係がないのです。

それがどんな技なのか、私はいまだに言語化ができずにいるのですが、例えば会話の中で何度も使っている言葉や、目の動きなどをじっくりと観察している姿をよく見ます。

すると「この人は、大丈夫ですと言っているときほど不安そうだ」とか「『でも』という言葉をたくさん使っているから、自分の判断に自信がないんだろう」といったことが、次第に読み取れるようになるのでしょう。

そして、それなら……と、その人に合った仕事に挑戦させてみる。こうして、弊社の社員たちはチャレンジの機会に恵まれ、日々さまざまな業務にあたっています。

リーダーとチーム
写真=iStock.com/Andrii Yalanskyi
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なかには「まさか自分がこんな仕事をしているなんて」と言う人もいるでしょうが、それが、驚くほどに適材適所なのです。