異性の友人は「交際している」人ただ一人
多分、当時の職場も同じような状況ではなかったかと思われます。
雇用機会均等法以前は、男女が対等に仕事で一緒になる機会は少なかったはず。そんな中で、二人だけでデートするという状況が生まれれば、「特別」な関係と本人たちも、周りの人たちも意識したはずです。
しかし、「好きです」「恋人になりたい」という告白をしていないから、恋人ではない。だから「交際している異性の友人」なのです。
前回述べたように、松田聖子の「赤いスイートピー」がヒットしたのは、ちょうど1982年です。当時は、恋人がいる割合より「友人として交際している異性」がいる割合の方が高かったのです。
つまり当時は、単なる異性の知り合いは何人もいたとしても、異性の友人は「交際している」人一人であり、デートする異性の友人が複数いる人は、今では何人もの恋人が同時にいる人と同じように「遊び人」と見られてしまったのではないでしょうか。
そのような時代に、結婚前の人が、愛情の分散投資をするのは難しい。
「話をしたい」「一緒に遊びたい」、さらには「性関係をもちたい」といったさまざまな愛情欲求を一人の異性に求めるしかないといった時代であるからこそ、告白を経て「異性の友人」を「恋人」へと昇格させ、プロポーズを経て「婚約者」、「配偶者」へと地位を上げていくことに腐心した。もちろん、途中で関係が終わることはあったとしても、です。
愛情が分散化されて消えたカテゴリー
一方、男女雇用機会均等法が成立し(1985年)、バブル期(1986~1992年)を経て、男女が一緒になって行動する場が増えてくる。近年の若者にとって、異性の友人は特別の存在ではなく、同性の友人と同じような関係として認識されるようになってきた。男友達と同じように、二人で食事や遊びに行くことも自然に容認されるようになってきた。
となると、ある異性とは楽しく食事して、別の異性とは趣味を楽しみ、別の異性とは性的関係をもつなどという“分散”が可能になってきた。
とすると、「友人として交際している異性」というカテゴリーは、だんだん意味をなさなくなってきたので、交際している異性の友人がいるという回答が減少してきたのです。
この変化が、現在の生涯未婚率の増加にも影響を及ぼしている、というのが私の見立てです。
次回は、戦後の恋愛結婚の流れを振り返りながら、「愛の分散投資」を検証していきます。