CIAによる最初の海外での秘密工作
CIAによる最初の海外での秘密工作といわれるのが、1948年4月に行なわれたイタリアでの選挙介入だ。終戦前後のイタリアでは、ファシスト党への抵抗運動を通じて共産党が急速に勢力を伸ばしていた。そこでCIAは、カトリック教会を支持母体とし、反共主義を強く唱えるキリスト教民主党に巨額の選挙資金を提供した。
じつは、海外のカトリック教会とアメリカの諜報機関の間には、かねてより協力関係があった。終戦直後にOSSは、旧ドイツ陸軍の情報将校ラインハルト・ゲーレンなど、ソ連事情に通じたナチス関係者の身柄を確保し、戦犯として裁判にかけることなく密かにアメリカへ移送し、ソ連に対抗する諜報活動に協力させた。反共主義のため、アメリカはナチス残党も利用したのだ。ゲーレンらを秘密裏にドイツから出国させるときには、ヨーロッパのカトリック教会関係者が手助けしたともいわれる。
国防強化を背景に形成された「軍産複合体」
19世紀から長らく孤立主義を採ってきたアメリカが、このように軍事面や諜報活動で海外への積極介入に転じた背景にあるのは、共産主義への脅威だけではない。それまで、アメリカは大西洋と太平洋に挟まれ、地理的にほかの大国から離れており、大きな戦争に巻き込まれる可能性は低いという前提があった。ところが、第二次世界大戦の末期には、長距離を飛行できる大型爆撃機や弾道ミサイルが実用化される。これらの兵器が進化すれば、いずれアメリカ本土が脅かされる可能性も否定できない。
こうした懸念から、アメリカの国防が強化されるなか、政府機関や軍と軍需産業に従事する民間企業が強く結び付いた「軍産複合体」が形成されていく。1950年代には、アメリカの国家予算のうち、軍事費が50%以上を占めるようになった。
国防重視と反共主義の思想は、アメリカ国内でもとくに南部から中部で強く支持された。この地域は、第二次世界大戦中から国防関係の公共事業で多大な利益を得ていた。たとえば、テキサス州のダラスは戦時下に軍用車や戦闘機の工場を誘致して発展した。ニューメキシコ州のロスアラモスには、マンハッタン計画に際して原爆開発の施設が築かれ、大量の科学者や軍人とその家族が移住したことで発展した。加えて、南部から中部では聖書の価値観を重視するキリスト教福音派の信仰が非常に根強かった。