アメリカでも「政治にはカネがかかる」
以上のように書いて来ると、金権万能のような我が国の保守党政治の腐敗ぶりは、絶望的なもののように見られるかも知れない。しかし、現代の民主政治は、どこの国でも、次第にカネのかかるものになりつつあるのである。
1960年の米国大統領選挙で、ケネディは、一説では1億ドル使った、といわれる。出費の大部分は、1年間チャーターされた豪華な専用飛行機を含む候補者および運動員の旅費および、テレビの宣伝費を中心とする広報費用であるが、消息通の話では、州によっては、代議員の買収にも、ケネディ一家はかなりのカネを使ったという。テレビのスポット放送の料金は、馬鹿にならぬものがあり、追いこみの1週間に数百万ドルもかかったらしい。
カネのかかることでは、最近のカリフォルニアの州知事選挙では、民主、共和両党とも300万ドル使ったというし、テキサス州に至っては、知事選挙の場合は、1000万ドルだという。テキサス州知事の年俸は2万5000ドルであるから、400年分の年俸が使われることになる。一体、これほどのカネを使って知事になって、どんなウマ味があるのかと、疑問に思うのは、当然のことであろう。
1960年の米大統領選で行われた「募金戦術」
このような巨額のカネは、しかし、全部が候補者のフトコロから出るのではない。米国の政党の募金戦術はかなり進歩しており、1960年の大統領選挙では100ドル・ディナー方式(100ドルの会費でパーティを開き、資金を集める)により、共和党がイリノイ州クック郡だけで、一夜に50万ドル(1億8000万円)を集めた記録があり、さらにこの方式を大規模にして、テレビを利用し、同時に何カ所かで100ドル・ディナーを開いて、一夜に300万ドルから500万ドルの収入を得た事実も伝えられる。
また、日本の選挙では、特に保守党の場合、無報酬の運動員はほとんどいないが、米国では、ボランティア(自発的運動員)が発達しており、レジャーを楽しむと同じように、両政党の支持者が、熱狂的に選挙運動に参加し、これらの運動員が広範囲な募金活動を展開しているようだ。
大企業からの大口献金は、労組のそれと同時に禁止立法が行われているので、表面上は、献金は、中産階級による小口化している。