未熟な「民主党政権」誕生に危惧
2000年代初めの「小泉純一郎ブーム」を経て、国内では再び政権交代への期待感が醸成された。自民党は2007年夏の参院選で惨敗を喫し、参院では民主党など野党が多数を占める「ねじれ国会」を生じさせた。安倍晋三氏から政権を継いだ福田康夫氏は、「ねじれ国会」に苦しめられ、政権運営は困難を極めた。民主党への政権交代が現実味を帯びる中、浮上したのが大連立構想である。
この大連立工作には、渡辺氏も深く関わった。渡辺氏としては、「大連立を実現しなければ、日本の政治が動かなくなる」という一心から取り組んだものだった。加えて、ポピュリズムの影響を受けやすい小選挙区制の下で、民主党が統治に未成熟なまま選挙に勝利し、政権交代を実現すれば、日本の政治に大混乱をもたらし、極めて危険な状態に陥ってしまうことは明白だった。
渡辺氏は本書第七章で、二党制の短所について、「根本的なイデオロギーや政策の異なる二党制は、政権交代の場合、外交政策などで一貫性を失ない、国際的不信を招くほか、国内の政治的・経済的混乱、社会的動揺が起る」「二党制は長期の経験によって安定性を備え終った場合を除き国内政治思想の両極化・対立の激化を招き、安保騒動のような両勢力の激突を招きがちである」(282ページ)と指摘している。
なぜ民主党政権は失敗したのか
2009年衆院選での勝利を経て誕生した民主党政権を思い出せば、本書がかつて指摘した通りの大混乱が起きたことが、おわかりいただけるだろう。沖縄県の米軍普天間飛行場の移設計画見直しは日米間の信用失墜を招いた。鳩山由紀夫首相はバラク・オバマ米大統領に首脳会談すら拒否されるありさまだった。国内では、財源の裏付けがない「マニフェスト」政策を推し進めようとし、政治・経済を混迷させ、日本社会を停滞させた。
2007年に大連立が実現していれば、民主党の政治家たちは、安定した政権運営に必要な外交や国内統治の知恵を身をもって学ぶことができ、単独で政権を担うことになっても、失敗を回避することができた可能性がある。
民主党政権の失敗は、ただ自民党政権を復活させただけでなく、それまで民主党が武器としてきた「マニフェスト選挙」の効力をも失墜させた。