日本が米国に勝った半導体製造技術
経営学では有名なレベッカ・ヘンダーソンとキム・クラークという学者が1990年に発表した「アーキテクチュラル・イノベーション(Architectural Innovation)」という論文に出てくる半導体露光装置メーカーの話を紹介しましょう。
半導体製造では、1970年代頃までは米国がトップを走っており、半導体露光装置に関しても米国企業のキャスパーがトップを走っていました。そのキャスパーに挑むように、日本のキヤノンが新しい露光装置をつくって提供するようになるのです。
露光装置とは、半導体のウエハーと呼ばれるシリコンの基板の上に、密接して回路のパターンを描く装置のことです。レンズを通して光を当て、基板に回路パターンを焼き付けるわけですから基本的には写真と同様の技術となり、登場する企業は、日本ではキヤノンやニコンといったカメラメーカーになります。
米国のキャスパーの露光方法は、直接基板に露光機械を押し当ててパターンを描く密着型露光というものでした。それに対してキヤノンは、非接触型露光という機械と基板を直接接しないよう、わずかに浮かせて回路パターンを焼き付ける方法を取りました。
機械と基板が接するか接しないか以外、部品レベルでの相違はまったくありません。使われている要素部品はまったく一緒ですが、この、機械を基板からわずかに浮かせて、それでいてズレないようにパターンを転写する技術には、大変な位置決め調整のノウハウが必要となるのです。個々の技術ではなく、部品と部品を組み合わせるアーキテクチャの知識と呼ばれる調整技術が必要な領域のものです。それをキヤノンが成し遂げ、非接触型露光による新しい半導体露光装置をつくったのです。
1980年代は「日本の時代」になったが…
基板に接しないようにすると何がよいか。密着させてしまえば、機械と基板の間に埃などが入ってしまった場合、基板に傷がついて不良品になってしまうわけです。非接触型露光では、ウエハーに傷をつけるリスクが少なく不良率も下がって歩留まりも上がる、ということになってキヤノンの露光装置のほうが性能が良いとなりました。
これを機に、急速に日本メーカーは半導体の露光装置の分野で存在感を増し、これに合わせて日本のNEC、三菱電機、日立といった会社の半導体製造も増えていくのです。
この時期は、半導体が強い=半導体メーカーが強い+半導体製造装置メーカーも強いという垂直統合の時代でした。これは日本も米国も変わらず言えることでした。半導体の製造装置でキヤノンやニコンが存在感を増していった結果、米国のキャスパーは結果的につぶれてしまい、1980年代は日本の時代になりました。しかしその日本も、日米半導体協定を境に下降線をたどり、各国に後れを取る状態になっています。
現在マクロ的に見て、日本がトップでいる市場は、シリコンウエハーや一部の部材しか残っていません。エレクトロニクス産業では「完成品がだめなら部材や設備で生き残る」と部材や設備のビジネスに活路を求める風潮がありますが、こうした中間材メーカーも最終消費財メーカーとのつながりや近接性が重要かもしれません。