つかみ取った歌手としての道

なぜクルーズさんは遠いアジアの国の歌手グループのメンバーとして迎え入れられたのか。

クルーズさんは1982年にサンパウロのアッパーミドルの家庭に生まれた。

1988年から90年代のブラジルでは、日本の特撮ドラマ『巨獣特捜ジャスピオン』『世界忍者戦ジライヤ』が集中的に地上波放送され、当時のブラジルの子どもたちを虜にした。特撮ドラマがブラジルで旋風を巻き起こした経緯は〈始まりは日本から持ち帰った18本のビデオだった…ブラジルで『特撮ヒーローブーム』を作った2人の日系人〉で触れたが、クルーズさんも例外ではなくどっぷりと日本のサブカル文化にはまったのだった。

マンガとアニメで火がついた日本への興味を、特撮ヒーローたちから受けた波状攻撃によって“爆上げ”させられたクルーズ青年は、1999年に栃木県宇都宮市の高校に1年間留学。カラオケボックスの歌本に特撮ドラマ主題歌を見つけて熱唱すると、その声量と歌唱力に日本人の仲間から一目置かれたという。

帰国後は東洋人街のカラオケ店で歌を楽しみながら、日本のポップカルチャーへの造詣と日本語能力の高さを活かして、漫画のポルトガル語翻訳版を発行する日系出版社に勤めた。

影山ヒロノブに「歌わせて」と直談判

転機が訪れたのは自身が立ち上げに携わったアニメイベント「アニメフレンズ」の2004年第2回開催だった。

クルーズさんが作曲した「静寂のアポストル」発表時のJAM Projectオフィシャル写真
©HIGHWAY STAR
クルーズさんが作曲した「静寂のアポストル」発表時のJAM Projectオフィシャル写真

日本から招いたJAM Projectメンバーのひとりが、長旅で喉を痛めて本番に向けて大事を取った際に、「リハーサルでそのパートを歌わせてください」とJAM Projectのリーダー・影山ヒロノブに申し出た。クルーズさんにとって影山さんは憧れの存在で、留学中に公演を見に行ったほど。リハーサルであっても、憧れの存在に対して一緒に歌うことを提案するとは、当時22歳にしてなかなかの強心臓の持ち主だ。

ブラジル公演を終えて日本に帰国した影山さんから促されるままに、クルーズさんは自らの歌声をカセットテープに録音して送った。その結果、見事メンバー募集のオーディションを通過し、翌2005年には準メンバーとしてJAM Projectに加わったのだった。

「ブラジルに変なガイジンがいるって、面白がってくれたんじゃないかな」とクルーズさんは振り返る。

ブラジルを拠点としているためJAM Projectへの参加は不定期だ。しかし、2019年にはJAM Projectが歌ったアニメ『ワンパンマン』第2期のオープニング曲「静寂のアポストル」を作曲するなど、準メンバーとは思えないほどの活躍をしている。