さまざまなサインを全て無視してしまった
名古屋の病院の医師は、眉間にしわを寄せて言った。
「見た目は変化がなくても、糖尿病はじわじわ進行します。その結果、腎臓悪化に行き着きます。あなたは糖尿病性腎症の発展形としてのネフローゼ症候群です」
糖尿病性腎症は、糖尿病の合併症の1つだ。高血糖状態が長く続くと、たんぱく質と血中のブドウ糖が結合した物質が増えて、全身の血管が詰まったり破れたりする。その影響が腎臓にも及ぶのだ。自覚症状が表れるまで約10年かかる。その間には、尿が泡立ったり、体重が増えたり、むくんだりとサインがある。私はそれらを全て無視してしまった。
名古屋では、入院当日から利尿剤と降圧剤の治療が始まった。「今は休め。大丈夫だから」。見舞いに来た上司や同僚らは、異口同音に気遣ってくれた。体にむくみが出てからずっと「病院に行った方がいい」と繰り返した上司も「仕事のことは考えなくていいから」と言ってくれた。忠告を無視し続けた私は、ただ頭を垂れるばかりだった。
電話で状況を伝えた妻に言われた。「あれだけ言ったのに、なぜ病院に行かなかったの。親として、夫としての責任感が全くない!」
医師から「あまりに重篤で面倒を見られません」と…
元テレビ記者の妻は冷静で、めったなことでは怒らない。その妻の声が、電話口で震えていた。入社2年目に結婚し、3年後に一人娘を授かったが、仕事にかまけて家を顧みることはほとんどなかった。「見限られる」、妻の静かな怒りに、ようやく事の重大さを認識した。家族も、同僚も、裏切り続けた……。ベッドに潜り、声を押し殺して泣いた。
追い打ちをかけるように医師から告げられた。
「あまりに重篤で面倒を見られません。転院先を見つけて、できるだけ早く退院してください」
退院? 医師にも見捨てられるのか――。
「どうしていいか、分かりません」
うろたえる私に、医師も困惑を隠せない。「ある程度までは治療します。でも、ご家族の近くの方がいいですし、転院先は紹介します」。治療のおかげで入院14日目の退院日には体重が94キロまで落ちた。
転院の日、妻は何も言わず、娘と共に車で名古屋まで迎えに来てくれた。紹介されたのは川崎市の自宅近くの大学病院だった。この転院が人生の岐路でもあったことは、後に知ることになる。
〈67歳の母が突然「腎臓あげるわよ。1個なくなったって平気!」と…末期腎不全になった記者が、母親からの臓器移植を受けたワケ〉へ続く