妻と娘が、私を見て顔色を失ったワケ

一刻も早く病院の腎臓内科を受診しなければならないが、この期に及んでも尻込みしていた。放っておけば命に関わる。それが分かっていながら、病気が明らかになれば、仕事を休まなければならない。家族や同僚らにも迷惑がかかる――。現実から目を背け続けた。

そして3月、私はついに、布団から自力で起きられなくなる。

床をはい、壁と机に爪を立てて、我が身を起こした。泣きたかった。もう布団から起き上がることができなくなった私は、机に突っ伏して寝た。

2017年3月。休日に単身赴任先の名古屋から川崎市の自宅に帰った私を見て、妻と娘は顔色を失った。体はむくみを通り越してパンパンに膨れていた。風呂に入ろうにも、体が浴槽に収まらない。体重計の数字は117キロ。半年で40キロも増えていた。

妻の言葉でようやく病院へ。即入院だった

仕事に戻る日の朝、妻が新幹線の新横浜駅まで車で送ってくれた。助手席で「ダイエットがうまくいかなくて」と頭をかく私に、ハンドルを握る妻は前を向いたまま言った。

「死ぬよ」

さすがにこたえた。新幹線を降りて名古屋市中心部の病院へ直行。内科の診察室に入るなり、医師は目を丸くした。「帰れませんよ。いいですね」。車椅子に乗せられ、そのまま病棟の6階へと向かった。即入院だった。

検査後、あきれ顔で医師に言われた。「ネフローゼ症候群です。それもかなりひどく、肺や心臓付近にまで水が達していました。よく歩いていましたね」

ネフローゼ症候群――。血中に含まれるたんぱく質の「アルブミン」が尿に多く出て、血中濃度が下がることで「低たんぱく血症」となる。アルブミンには血管に水分を引き込む役割があり、血中濃度が下がると水分が血管の外に漏れて体内にたまる。結果、足や顔がむくみ、ひどくなると肺や腹部、心臓などにも及ぶ。医師は続けた。

「倉岡さん、ご家族に糖尿病の方はいらっしゃいませんか」

父も、祖父も。そして、実は私も……。

糖尿病の診断は2006年3月に受けていた。28歳。大学を出て記者になり3年目、初任地の佐世保支局にいた時だ。医師は「若く、太っていないのに発症したのは、遺伝以外にあり得ない」と首をかしげた。記者になって3年。体力には自信があったが、事件や事故は昼夜を問わず、不規則な生活が続いた。「持病」で体が悲鳴を上げた。ただ、それから10年以上、体重は75キロ前後を維持していた。