友桝飲料との出会い

訪問からしばらく後、飲料メーカーが廃業。下町屋にガラナを卸していた業者から、「佐賀にまだガラナを作っているところがある」と聞き、仕入れ始めた。そのメーカーが、友桝飲料だ。

2003年のある日、なんとなく友桝飲料のホームページを見たら、「オリジナル商品作ります」と書かれていた。「話だけは聞いてもらえるかもしれん」と連絡すると、「明日、伺います!」と返信があり、翌日、作業着姿の社員が訪ねてきた。それが今の社長、友田諭さん。友桝飲料はちょうど新規事業としてオリジナル商品の製造を始めたところで、「こどもビール」の話をすると、「やりましょう!」と快諾してくれた。

正式に作るなら、「十番搾り」のラベルは使えない。浅羽さんは再び八智代さんに連絡し、改めてラベルのデザインを依頼した。新しいラベルには、男の子と女の子が描かれていた。よく見ると胸の名札に、名前が記されている。

「下町屋が本当に忙しくて、昼夜逆転の生活になってね。家族とすれ違って、離婚する直前だったんです。これで長男、長女ともお別れかと寂しく思っていたら、八智代がうちの子どもの名前を小さく名札に入れてくれました。いつか子どもたちが親になった時、このラベルを見て『じいちゃんが作ったんだよ』と自分の子どもに言ってくれたらいいなと思いましたね」

「ビール」と書くとお酒と勘違いする人もいるかもしれないと、すべて平仮名に改称した「こどもびいる」が2003年末に完成。下町屋のオリジナル飲料として、最初の半年間、毎月10ケース(240本)仕入れていた。この時まで、中身はガラナのままで瓶のラベルを張り替えたものだったが、友桝飲料からの提案で見た目がビールそっくりのリンゴ味の炭酸飲料に変更した。

こどもびいる
こどもびいる。色合いもビールのようなリアルさだ
こどもびいる
レトロなポスターが客の惹く

このタイミングで、友桝飲料から「こどもびいる」を正式に売りに出したいと連絡があった。下町屋のオリジナル商品として考案した浅羽さんは最初、断った。どこでも買えるようになったら、下町屋で売れなくなる。しかし、何度かの交渉を経て「販売先は飲食店のみ」「浅羽さんから友桝飲料に、毎月製造する分のラベルを販売する」という形で落ち着いた。これが、大きな転機となる。