「こどもびいる」誕生秘話

実は、「こどもびいる」は、浅羽さんと従業員の会話から生まれた。ガラナという炭酸飲料をご存じだろうか? 北海道、鹿児島、宮崎ではメジャーながらほかの地域ではあまり目にしない、コーラに似た風味の飲料で、下町屋で瓶入りのものを仕入れて販売していた。

浅羽さんはある時、宮﨑出身の従業員から「宮崎では、焼き肉に行くと大人はビールで、子どもはガラナで乾杯するんです」と聞いた。その話を聞いて、「ガラナを『こどもビール』として売ったら面白いのでは?」と閃いた浅羽さんは、メニューを「こどもビール」と書き直した。その反応は顕著で、それまでまったく注文が入らなかった380円のガラナが売れ始める。

これはいける! と手応えを感じ、名古屋での修業時代、アルバイト仲間だった八智代さんに連絡を取った。浅羽さんが店を開いた後、八智代さんの両親が転勤で福岡に引っ越してきたこともあって交流が続いていたのだ。浅羽さんは、趣味でイラストを描いていた八智代さんに、「こどもビール」と書いたラベルのデザインを依頼した。

「僕は、いわゆるビールな感じのラベルを考えていたんですよ。そうしたら、なんかすごくふざけた感じのイラストがきてね。キリンの絵に『十番搾り』と書かれていたよね。でもまあ、仕方ないから、これでいいかって(笑)」

浅羽さん
筆者撮影
「こどもびいる」が生まれた経緯を振り返る浅羽さん

そのイラストを5万円かけて印刷し、もとのガラナのラベルを剝がして瓶に貼った。すると、あっという間に毎月200本売れる人気商品になった。それを喜んでばかりもいられない。ガラナはリターナブル瓶のため、「こどもビール」のラベルが貼られたままの瓶がガラナを製造していた某飲料メーカーに戻され、「これはなんだ?」と話題になっていると卸業者から耳にする。

そこで浅羽さんはその飲料メーカーを訪ね、「こどもビール」を商品化できないかと相談した。しかし、相手にとって浅羽さんは単なるもんじゃ焼き店のオーナー。「うちは10万本単位で作ってるから、ちっちゃい話はやれんよ」と追い返された。これで「こどもビール」の運命が途絶えたか……というところで、追い風が吹く。