自分は本当に、「頭がいい」って言っていていいのか

受験勉強を積み上げている人たちのほとんどは、学校教育に染まっていて、「勉強というものは教えてもらえるのが当たり前だ」という認識になっていってしまいます。

「いいかい、これはこうなんだよ」と教わり、そこから先の広がりに関しては学ぼうとはしなくなります。僕も、「東大に合格しているんだから、自分は多くの人よりも、頭がいいはずだ」とプライドを持っていました。

ですが、この本を読んでいて、「自分は本当に、『頭がいい』って言っていていいのか?」と根本から揺さぶられました。

この本では、学校教育のことを「教える側が積極的すぎて、親切すぎて、学習者を受け身にしてしまっている」ということを語っています。

階段教室で授業を受ける学生たち
写真=iStock.com/gahsoon
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「これはこういうものなんだよ」と教えられて、それに対して疑うこともなく、「そういうものなのか」とただ受け入れてしまっている。それは教育というもののあり方として間違っている、と。

いまの学校は、教える側が積極的でありすぎる。親切でありすぎる。何が何でも教えてしまおうとする。それが見えているだけに、学習者は、ただじっとして口さえあけていれば、ほしいものを口へはこんでもらえるといった依存心を育てる。

学校が熱心になればなるほど、また、知識を与えるのに有能であればあるほど、学習者を受身にする。本当の教育には失敗するという皮肉なことになる。(P.18より)

丸暗記するだけで、それ以上の領域に足を踏み入れない

この記述を読んでいて、僕はあることを思い出しました。それは、地理という科目についてです。地理では、日本と世界の産業について学びます。そして大抵、教科書や参考書には、こんな記述があります。

「先端技術産業では、水を多く消費するので、水が得られやすい地域に工場が立地する場合が多い」。

地理を勉強したことがある人なら、みんな読んだことのあることだと思います。ですが、よく考えると、これって不思議なんですよね。

「なんで先端技術産業では水を多く消費するんだろう?」と思いませんか?

でも、その理由について書いてある参考書は少なく、また学校でもその理由を教わることはほぼありません。習わないから、テストでも出題されませんし、多くの人は「そうなんだ、先端技術産業では水を使うんだな」と丸暗記するだけで、それ以上の領域に足を踏み入れはしません。

その先はないものとして扱ってしまい、「先生が話していなかったし、テストでも出ないから。後から戻ってこなくてもいいだろう」と、学びをストップさせてしまうのです。

本書を読んでいると、そんな「本当は疑問に思っていたんだけれど、でも教わらなかったから勉強しなかった部分」「『なぜだろう?』と感じたことはあるけれど、自分から答えを調べようとしなかった事項」を思い出して、大きく反省することになります。