※本稿は、野村泰紀『多元宇宙論集中講義』(扶桑社新書)の一部を再編集したものです。
「宇宙の果て」には一体何があるのか
「マルチバース」とは、単純に言えば、「我々が宇宙だと思っていたものが、宇宙のすべてではなかった」という話です。
ただ、その話をするには、そもそも我々が何を「宇宙だと思っていた」のかをはっきりさせなくてはいけません。このように言葉の意味をはっきりと定義するというのは、科学の話をするときにはとても大切なことです。
例えば宇宙をどんどん進んで行って、最後に「果て」みたいなものがあったとしましょう。そしてその先にはなにか緑色のゼリーみたいなものが広がっていたとします。これをもって、宇宙の果ての外側は「緑色のゼリーだった」と言うことはできるかもしれません。しかし、もしもその緑色のゼリーも含めて「宇宙」と呼ぶことにすれば、言葉の定義からして宇宙の「果て」も「外」もなくなってしまいます。
地球は広大な宇宙の中のちっぽけな存在
また、宇宙が複数、例えば2つ、3つあります、という話にしたって、その2つあるもの、3つあるものをすべてひっくるめて「宇宙」と呼ぶのだとしたら、これまた言葉の定義からして宇宙は一つしかないということになります。だとすれば、宇宙がたくさんあるという意味のマルチバースという言葉自体、意味を成さなくなってしまうでしょう。
だから、何をもって「宇宙」とするのかを、まずは決めておく必要があるのです。
我々の住む地球という星が、太陽系にある数ある惑星のうちの一つにすぎないことは、コペルニクスやガリレイの時代から知られています。そして、その中心にある太陽も銀河系にある無数の恒星のうちの一つにすぎず、それどころか、その銀河系も数多く存在する銀河系の中の一つでしかなく、それがたくさん集まった銀河団さえも一つではないことも、20世紀の初頭にはわかっていました。