落語家がコロナ禍で始めた「三遊亭トムヤムクン」
何度、師匠に救われたことだろう。
ここ10年でもっとも大きな世界的危機といえば、やはりコロナウイルスだ。緊急事態宣言が発令され、外出することもままならなくなった。誰もが感染の恐怖におびえ、実際にお世話になった人も亡くなった。世界経済が停滞する中で、何よりも影響を受けたのが私たちの業界だった。
エンタメに従事する芸人、関係者はその食い扶持の多くを失った。それでなくてもその日暮らしをしていた芸人たちはアルバイトを増やして糊口をしのいだ。
そんな折、コロナ禍で脚光を浴びたのがフードデリバリーサービスだった。空いた時間にできるとあって、芸人たちは配達員として収入を得るようになっていた。当然高座もなくなったし、落語家も皆が路頭に迷う寸前だった。師匠に頼めばきっと経済的な援助をしてくれるだろうが、すべてを頼るのも後輩たちに格好がつかないと思っていた。
自分でもなにか収入を確保できないか。そんな軽い気持ちで始めたのが、フードデリバリーのプロデュースだった。
「今この業界がアツい」という情報を得た私は、知人にそそのかされ鼻息荒く参入することにしたのだ。店舗は持たず、デリバリーに特化することで固定費や人件費を削減できるからリスクも高くない、という触れ込みだった。
大師匠の逆鱗に触れた
オープンは2022年1月。今思えば緊急事態宣言から2年が経ち、デリバリー業界も飽和していて頭打ちの時期であった。そんな折、タイ料理に特化した「三遊亭トムヤムクン」(現在は閉業)はオープンした。
ラーメン、牛丼といった、ありきたりなデリバリーに辟易としていた層に訴求できると見込んだのだが、思わぬところから待ったがかかった。
「お前、三遊亭の名前を利用する気か!」
顔を真っ赤にして怒っているのはラジオで何年も共演している笑福亭鶴瓶師匠だった。
昨今は温和なタレントとしてのイメージが強いかもしれないが、もともとは新進気鋭の落語家で、周りに何を言われても頑としてアフロにオーバーオールというスタイルを変えなかったという逸話を持つ。それもすべては落語の持つ古いイメージを変えたかったから。落語に深い愛を持っている偉大な師匠である。
その鶴瓶師匠が怒っている。コロナ禍で苦しんでいるのは誰だって同じこと。目先の利益に囚われた自分のことが許せなかったのだろう。確かにその通りだ。