次男の吉次は「ジャニー喜多川から性加害を受けた」と告発

そして、その出会いが、良一の次男・服部吉次氏への性加害につながるとは――。良一とジャニーは親交を結び、吉次氏は小学生の頃、週末ごとに服部邸に泊まりにくるジャニーから100回近く繰り返し性加害を受けていたという。そのことを吉次氏は父親の良一らには打ち明けられず、2023年、約70年の時を経てようやく告白した彼の身心共に背負わされてきた深い傷を思うと、胸が苦しくなる。

日本記者クラブでの「ジャニーズ性加害問題当事者の会」会見に出席した服部吉次氏
撮影=プレジデントオンライン編集部
日本記者クラブでの「ジャニーズ性加害問題当事者の会」会見に出席した服部吉次氏=2023年9月7日、東京都千代田区

それと同時に、ジャニーが変声前のボーイソプラノの「ジャニーズJr.」の少年たちをデビュー組のライブの合間や、Jr.の舞台で重用したこと、Jr.の舞台では何の説明もなく「服部良一コーナー」がたびたび設けられていた不自然さなどが、一気に結びつき、背筋が寒くなる。

話題を変えよう。良一が笠置シヅ子と出会ったのは、新しく「松竹歌劇団」が発足するとき。派手なホットジャズが書けて指揮のできる人として良一に白羽の矢が立ったのだが、一座の花形が大阪の歌姫・笠置だった。

「ぼくは、どんなすばらしいプリマドンナかと期待に胸をふくらませた」という良一の、笠置の第一印象は、こうだ。

「薬びんをぶらさげ、トラホーム病みのように目をショボショボさせた小柄の女性がやってくる。裏町の子守女か出前町の女の子のようだ」

しかし、その夜の舞台稽古で思わず目を見張ったという。

「笠置は復興を急ぐ日本が立ち上がろうとする活力の象徴」

「『クイン・イザベラ』のジャズ・リズムにのって飛び出してきた笠置は別人で、三センチほどもある長い付けまつげの下の目はバッチリ輝き、ぼくが棒をふるオーケストラにぴたりと乗って、『オドッレ、踊ッれ』と掛け声を入れながら、激しく歌い踊る。その動きの派手さとスイング感は、他の少女歌劇出身の女の子とは別格の感で、なるほど、これが世間で騒いでいた歌手かと、納得した」

かくして服部良一×笠置シヅ子の名コンビが誕生。「東京ブギウギ」について、良一は自伝でこう記している。

「笠置シヅ子は、復興を急ぐ敗戦日本の、苦しさから立ち上がろうとする活力の象徴のように大衆に感じられたのではあるまいか。そして、底抜けに明るい『東京ブギウギ』は長かった戦争時代をふっ切らせ、やっと平和を自分のものにしたという実感を味あわせてくれる(原文ママ)……と、多くの人がこもごもに語った。東京ブギウギは平和の叫びだ、と」
服部良一『ぼくの音楽人生』(日本文芸社)