田沼が忖度なしに老中らの不正を暴いた郡上八幡一揆事件

そこで2カ月後の9月、家重は意次に評定所への出座を命じた。御用取次役が評定所に加わるのは初めてだ。御用取次役はその名のとおり、将軍と幕閣などとの間を取り次ぐのが役目であり、意思決定機関である評定所のメンバーとなるのは異例のことだった。ここに、家重の事件解決への強い意思と意次への期待が表れている。これを見ても、家重が暗君だったとは思えない。

同年10月、評定所の審議は決した。老中・本多正珍を罷免・逼塞ひっそく、若年寄・本多忠央や勘定奉行・大橋親義を改易とするなど、幕府最高幹部への処分はまれに見る厳しいものになった。さらに当事者である郡上藩主・金森頼錦は改易、家臣も各々処分とし、農民側も13人を獄門死罪、そのほか遠島・所払い・過料などとした。

これらを忖度なしでまとめた意次の手腕は、将軍の意向がバックにあったとはいえ、並々ならぬものがあったと言えるだろう。しかも評定所の構成メンバー全員が意次より格上なのだから。その剛腕ぶりが、譜代大名の怨みを買い、やがて失脚の一因にもなるのだが、それはもう少し後の話。

ちなみに現在、岐阜県郡上市八幡町では毎年夏に有名な「郡上おどり」が催される。7月中旬から30夜以上にわたって開催され、特に8月のお盆の4日間は午前4時頃まで徹夜で踊り続ける壮大なもので、全国から踊り手や観光客が集まり、国の重要無形文化財にもなっている。これは、改易された金森氏の後に領主となった青山氏が、一揆で分断された藩内四民の融和のために始めたと言われている。

2019年の「郡上おどり」の様子、岐阜県郡上市
写真=iStock.com/kyonntra
2019年の「郡上おどり」の様子、岐阜県郡上市(※写真はイメージです)

年貢の増収策をあきらめ「米本位経済」からの脱却をめざす

ここでもう一つ重要な点は、意次が郡上一揆の審議を通じて、年貢増徴の限界を痛感したことである。このことが、意次が数々の新政策を打ち出すきっかけにもなっている。

意次はこの頃から幕政の中心を担うようになる。意次がとった政策は、幕府財政の増収策という枠を超えるものだった。主な経済政策は、①商業重視と流通課税②新産業の創出と殖産興業③通貨の一元化④鉱山開発⑤対外政策の積極策――など多岐にわたる。また相良藩主としても、家臣に対し年貢増徴を戒めるとともに、殖産興業策やインフラ整備を進めている。

意次の政策の特徴は、収入源を年貢に頼る「米本位経済」から脱却し、新たな産業である商業・金融の発展や殖産興業によって経済活性化と財政立て直しを図ろうとしたことだった。既存の常識に縛られず、時代の変化をとらえた大胆な改革だったのである。現在になぞらえれば、成長戦略であり構造改革である。実際には失敗したものも少なくなかったが、後の近代化につながるものも含まれている。