新しいものを見せても、既視感が生まれる状況
2.テクノロジーが速すぎる
2023年の序盤、生成型AI「ChatGPT」が世界中を震撼させ、その驚異的な生成クオリティや使い勝手の良さで瞬く間に時代のアイコンに躍り出ました。僕もこの執筆に一部役立てる過程で、かつて新人時代に自分がやっていた情報収集やレポーティングのクオリティを、一瞬で追い抜かれた感覚に陥り、「仕事って何だろうか……」と、途方にくれました。
テクノロジーの使い勝手の速さと、その出来の進歩の速さ。両方の意味で今は「テクノロジーが速すぎる」時代といえるでしょう。テクノロジーが速すぎることは、価値の作り手にとって大きなスタンスの変更を余儀なくさせ続けています。
「開発の短時間化や、参入障壁の溶解による競争の激化」
「アプリケーション的に、非物質的なアップデートで商品性能が向上できるようになったことで、流動性がUP」
「グローバライゼーションで、全世界のプレーヤーが競争相手に」
「プロダクトライフサイクルの短命化」
……などなど。これらの変化によって、たとえば商品は「出したその日から時代遅れが始まる」という、何ともせわしない状態になっています。
企業の側からすれば、それはお客様がすぐに飽きてしまうことに応えようとした結果だと主張するかもしれませんが、実は顧客の側からすると「そんなにすぐに新商品を出すから、気に入っていたものも何だか古いもののような気がして買い替えてしまうだけ」という、ある種の「高速回転の共犯関係」が成り立ってしまっている。
数年前に、若者研究の一環で当時の大学生数人と、とあるモーターイベントに行ったとき、そこに展示されていた世界初公開のコンセプトカーを見た1人が、「あっ、これ前に見たことあります」と言いました。
初公開なので彼の言っていることは勘違いなのですが、「ネットでこんなようなものを絶対に見た」と自信ありげ。事実を伝えて彼も勘違いだと理解したのですが、それくらい「本当に新しいものを見せても、既視感が事実すら上回って押し寄せている」ということです。
そんな既視感を、さらに新しさで上回ろうとした結果、高速回転はさらに速くなり……「ほかの人に食べられたくないので、まだ生焼けなんだけど食べちゃう」。有名な「焼肉生焼け理論」のようなこの状況は、個人も法人も、本質を置き去りにしながら拙速に物事を回転させてしまっているんじゃないでしょうか。
どのサービスも似たような結論にたどり着く
1つ目の「情報が多すぎる」こととも相まって、人々の中で「既視感=どれも新しく見えず、知っているものに見える」と「達観=選択肢は多いしうつろいも激しいので、どうしたらいいのかわからない。どれでもいいや」が広がっているように感じます。
ある大学生が、商品の選択に関するインタビューのときに、「コンビニに売っている時点で、間違いないってことだから、そこから先は何でもいい」と答えたことがあります。豊かになったがゆえに、その対象に対しての前向きな好奇心や関心が失われる。
しかもこの結果は、価値の作り手が怠けていた結果ではなく、むしろ高速回転する社会に対応し続けたがゆえに招いているというパラドックスが皮肉です。アジャイルな開発体制で、リーンスタートアップ的思考で、ユーザーリサーチもしっかりやって、高速PDCAで最適化し続けた結果、どのサービスも似たような結論にたどり着く、という話は僕もクライアントビジネスの中で、何度も見てきました。
真面目に勤勉にやっているだけではその落とし穴に気づけない可能性があります。そんな、真面目に状況に高速で対応する日々に対して、「ここではないどこか」を望んでしまいがちなのかもしれません。