「男女嫌悪」の実態はヘイトそのもの

また、左派政権ができた2003年から教育を受けた人たちが、「高齢者は保守しか知らない」とし、ある種の政治的分断が起きたのも一つの原因です。不幸中の幸い、いまのところまだ「高齢者対若者」の物理的衝突は起きていませんが、高齢者の無賃乗車制度を廃止せよとの請願運動が起きたり、どうも雰囲気は重いままです。

そうした際にも「高齢層嫌悪」などの言葉が普通に記事に載っていましたが、最近はそんな表現は目立ちません。「嫌悪」が外国で「ヘイト」と訳されることを気にしたのではないか、と個人的に考えていますが、確証はありません。とにかく、一時よりはあまり目にしなくなりました。

本題の男女嫌悪の場合も、「男女葛藤」「ジェンダー戦争」などの表現が主流ですが、個人的に、嫌悪がもっとも的を射た表現だと思っています。なぜなら、その実態はヘイトそのものですから。たとえば、女性が車にかれる事故があったとして、それを「女だから避けられなかっただけ」とすると、称賛一色になる空間が存在すると思ってみてください。それを、嫌悪でないとするとなんと言えばいいのでしょうか。

いまは20代中心でも、どんどん広がるはず

合計出生率関連の話題は世界各国でニュースになっており、日本でも耳にタコができるほど聞いた・聞かされましたが、男(女)が女(男)を嫌っているから合計出生率が下がるという話だけは、いまのところ韓国以外では聞いたことがありません。

しかし、これは結構重要な問題です。主に20代を中心に広がっているので、これから「異性嫌悪」をさらに若い人たちが見て聞いて、10年後には20代と30代に及んでいるでしょうし、さらに40代まで広がるのはすぐです。このままでは「異性嫌悪」が、どんどんその影響力を広げていくことでしょう。

私は、これ“だけ”が韓国の合計出生率急低下の原因だとは思えないものの、いまもある程度、確実に影響は及ぼしていて、これからさらに影響力を広げて、文化もどきとして定着して行く可能性すらある、そう見ています。

なにせネットで女性による男性嫌悪、男性による女性嫌悪の流れを見つけるのは、そう難しくないからです。”流れ”と書いたのは、少数派の意見だけでできるものではないという意味です。