「X先生の授業では単位もらえたんですけど」

ゼミ生・A君が研究室を訪ねてきた。

「センセ〜、バイトが忙しいので来週の論文の締切を延ばしてくれませんか?」
「よし、わかった。締切は冬休み明けにしよう。そのかわり、それまでは毎日、午後7時きっかりにレポートの進捗状況を私宛にメールで報告するようにね」
「わ、わかりました。できるだけ頑張って、来週提出するようにします」

ゼミ生・Bさんのレポートを見て、脚注・出典の表記の修正を指示したところ、納得できない表情のBさんが言う。

「でもこのやり方でX先生の授業レポートは問題なく、単位もらえたんですけど」
「よし、わかった。X先生に確認のうえ、キミのレポートを再チェックして、もし問題があれば、教授会で取り上げて再審査することにしよう。単位も不可になる可能性も出てくるが……」
「X先生への確認は不要です。いただいた指示のとおりにすぐに直してきます」

ゼミ生・Cさんのレポートには「アメリカ人の終末のすごし方」とタイトルがつけられていた。終末期をどうすごすかを調べることはアメリカ人の死生観を理解することにつながる。面白いところに着目したな、と期待して読み始める。

「1970年代はクリスチャンのアメリカ人7割が、終末に教会に行ったとのデータもあるが、現在ではその割合は3割に落ちている」

なるほど、アメリカ人の生活は教会と不可分だが、終末期のすごし方も時代の趨勢すうせいとともに変化しつつあるということだろう。

「週末→終末」の誤植で統一されたレポート

「資料によると、アメリカ人の8割は終末にバーベキューをする。またそれ以外の終末のレジャーとしては、ビールを飲みつつ、ポップコーンを食べて、アメリカンフットボールやメジャーリーグの試合を観戦するということもある」

数ページ読んだところで何かおかしい。いくらアメリカ人とはいえ、死ぬ間際にアクティブすぎる。読み直してみると「アメリカ人の週末のすごし方」であり、「終末」と「週末」の誤植なのだ。それにしてもレポートのすべての文字が「終末」になっていて、そんなところだけしっかりせんでもええがな、と心の中でツッコむのだった。こうしてゼミ生と教授とのせめぎあいはレポートの完成まで続いていくのである。

古今東西、学生がもっとも気にするのは成績評価である。とくにふだんから勉強しない学生にとって、60点以上のC(可)で単位を取れるか否か、は死活問題となる。大規模クラスの授業では、いわゆる「お願い文」というのが答案に書かれていることがある。

「かくかくしかじかの理由で満足な答案が書けなかったものの、就職も決まって、単位を必要としているので、なにとぞ……」というものだ。同僚には「お願い文」を書いたら、即、F(不可)をつけると宣言している人もいるが、私はそこまで思い切った判断はできない。

資格取得のために勉強するアジアの女性の手
写真=iStock.com/mapo
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