日本は1990年代から「レッサーパンダ王国」

日本が「レッサーパンダ王国」になったのは、1990年代に開かれた国際的な会議が発端だった。ここで、シセンは日本、ネパールはヨーロッパを中心に頭数を増やして種を守る方針が決まった。

日本は生息地の中国と近く、友好都市の縁で、80年代半ばにはすでに30頭ほどのシセンレッサーパンダが飼育されていたことが理由だという。

レッサーパンダは小型で飼育スペースをとらず、移動も比較的簡単にできる。

人気があり、飼育を希望する動物園も多く、国内では順調に増え続けてきた。

レッサーパンダ
写真=iStock.com/Junichi Yamada
日本は1990年代から「レッサーパンダ王国」(※写真はイメージです)

「計画的な繁殖」が支えてきた

この「順調な増加」を支えているのが、計画的な繁殖だ。

全国91カ所の動物園と52カ所の水族館(2020年時点)が加盟する日本動物園水族館協会(JAZA)が中心となって策定した「JAZAコレクションプラン(JCP)」をもとに、進められている。

レッサーパンダをはじめ、トラやゾウ、キリンなど、動物園の人気動物の多くは、野生では絶滅の恐れがある希少動物だ。

JAZAは、300種を超えるこうした動物たちを、希少性や日本の動物園にとっての重要性などの観点からグループ分けしている。このうちの約90種を、優先して繁殖させる対象(管理種)に決めている。

そして、個々の動物の個体情報(親子関係や性別など)を登録した血統登録簿をつくるとともに、全国の飼育員や獣医師らの中から1種につき一人ずつ「種別計画管理者」を委嘱して、繁殖計画づくりを委ねている。

繁殖計画は、日本にいるそれぞれの動物種全体を一つの「群れ」とみなして、できるだけ遺伝子の多様性が保たれるようにつくられる。

種別計画管理者は、血統登録簿の情報をもとに「分析ソフト」を使って血統の偏りを避けながら繁殖させるペアを決定、動物園や水族館に移動を促す。

いまでは、所有権を移さずに動物を移動できる、繁殖のための貸借(ブリーディングローン)という手法も浸透した。